それでも「聖徳太子は実在する」たった一つの理由〜恵美嘉樹からマス大山への挑戦状【言い訳追記あり】
聖徳太子をもとめて3000里の旅を続けてきた。
「分かった!聖徳太子はやっぱりいたんだ!」
「えっ?どこ?」
「僕と君の心の中にだよ」
おれたちの旅は始まったばかりだ(終わり)
ジャンプで5回連載して終了〜みたいな。
きのうのエントリー「それでも「イイクニつくろう鎌倉幕府」が正しい、たった一つの理由」の続き、歴史教科書検定ものです。
今回は朝日新聞からです。
頼朝画像ネタで、「頼朝像は頼朝じゃないよ〜ん」の本は1995年。
一方、聖徳太子なんていなかった説の本は1999年。
大山誠一さんのこの説は一躍古代史ワールドで話題となりました。 ところが・・・
この大山説の「聖徳太子いなかった説」の柱は、
厩戸皇子は実在したが、生きていたときは「聖徳太子」と呼ばれていなかった
というものです。
これって、それはそうなんですけど、これを認めると、
仁徳天皇も継体天皇も藤原鎌足も、みんないなかったってことになっちゃうトンでもなのです。
(天皇という呼び名は古墳時代にはなかったし、鎌足が生きていたときに使っていた名前は「中臣」)
挙げ句の果てに、暴れん坊将軍こと徳川吉宗もいなかったことになっちゃうんですよ!大変です!
もっとも大山さんの説は、「聖徳太子って呼ばれていなかったから、いなかったんだよ、やーい、やーい」という単純なものではなく、「聖徳太子」という尊称をつけたのが、鎌足の息子の藤原不比等であって、それが奈良時代の政治や社会に、うんぬんかんぬん・・・となるわけですが。
なによりもいなかったはずの「聖徳太子」という名称に一番固執しているのは、当の大山さんだということは、その後の一連の著書のタイトルを見ると一目瞭然というカオス。。。
2011年の本↓
2005年の本↓
2003年の本↓
2001年の本↓
ということで、今回の結論は、
「聖徳太子はいなかった」と言っている人が「聖徳太子」タイトルの本を量産しているんだから、「いた」でいいじゃん!
でした。ちゃんちゃん。
追記
ちきりんさんを習って、おちゃらけ歴史「修正」主義をやっているんですが、
当然、分かりやすくかつエンタメなので、歴史の諸説、解釈なんかはフレームアップ、簡略化しておるのです。
そうすると、「ぷぎゃー、本読んでない」とコメントいただくのですが、
読んでるっつうの。
たとえばこれ『聖徳太子の真実』からの大山さんの文の引用ですが、
聖徳太子の実在性を示す史料は皆無であった。逆に、ことごとくが後世に成立したものであった。とすれば、聖徳太子は実在の人物ではなく、架空の人物であったということにならぎるを得まい。
こういう独善的な論証のやり方を、分かりやすくいうと「聖徳太子と呼ばれていなかったから実在しない」論といっているわけです。
別に個別の論が間違っているとはいっていませんよ。
ぶぎゃー。
清水書院は「聖徳太子は実在したか」と題したコラムを載せた。憲法十七条や冠位十二階といった施策は太子の実績と断定できない、旧1万円札で有名な肖像画も「太子像」とする根拠がない――との内容だ。
近年、太子の実像に関する史料研究が進んだことに触れ、「多くの疑問が提起されている」と結んでいる。「研究者の間では以前からある話題。史料には様々な見方があるという面白さを知ってほしかった」と編集担当者は話す。
(朝日新聞)
「偽の歴史」エントリー
本当の源頼朝の顔を教えてやろう!