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歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

それでも「イイクニつくろう鎌倉幕府」が正しい、たった一つの理由【続編追加】

鎌倉時代

あらたに検定に合格した高校の日本史の教科書で、鎌倉幕府の成立の年について6つの説を併記したそうです。2013年3月28日の読売新聞より

その1 1180年末 頼朝が鎌倉に居をかまえた
その2 1183年10月 頼朝の東国支配権を朝廷から事実上承認された
その3 1184年10月 鎌倉に政所などを設けた
その4 1185年11月 頼朝が守護・地頭の任命権などを獲得した
その5 1190年11月 右近衛大将任命
その6 1192年7月 征夷大将軍任命


 常識のイイクニは、頼朝が征夷大将軍の役職をもらったとき。
 一方で、「かつて」有力視されていた説が1185年の、守護地頭の成立。

 「かつて」と書きましたが、いまでもちょっとした歴史通を自認する人は「鎌倉幕府は1192じゃなくて1185」と鼻高々で説きます。かつて(中二病時代の)私もそうでした。

 まあ、でも新しい歴史学では、このときの守護地頭というのが単なる短期的措置にすぎなかったとされています。なので、6つの説では、実は一番「幕府成立の年」としてイマイチという。

 鎌倉政権というのは、いわずもがなですが「武士の政権」です。それはつまり鎌倉以外に、匹敵する武装集団がなくなった瞬間こそが、「鎌倉幕府の成立」ではないでしょうか。

 とすると、6つの説にはないですが、1189年の平泉を滅ぼした奥州合戦こそが幕府成立でいいのではないでしょうか?

 7つ目の新説の旗を恵美嘉樹があげさせていただきます!教科書会社さん、次回はよろしく!


で も、結論をいうと、第一当事者である頼朝は「わたくし幕府成立しますた!」と表明していない(意識もしていない?)以上、いつでもいい。

 それなら、覚えやすい1192年でいこう!というのが結論です。

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【追記】
 続編「それでも聖徳太子は実在する、たった一つの理由」を書きました。
 同じく歴史教科書検定での話題です。

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 今回、合格した日本史Bの教科書はほかに5冊あるが、「頼朝に始まる武家政権鎌倉幕府と呼んでいる」などと、いずれも幕府成立の年を特定していない。

 頼朝とされた著名な肖像画にも別人説があり、10年ほど前から教科書は頼朝と断定しなくなった。

 後段のことは、なんのことかというと、美術史家の米倉迪夫さんが1995年に、下の本で、頼朝像として有名な例の絵は、足利尊氏の弟・直義(ただよし)だよ〜と衝撃の説を発表したのです。
 研究者は今ではみなこの絵は、頼朝ではないと考えています。


それじゃあ、頼朝はどんな顔だったのかというと、

この本の表紙の木像とされています。


えっ、分からないって?

じゃあ、アップで。

うーん、モッサリな感じ・・・