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歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

戦国大名たちは世界通貨「永楽通宝」を使っていた。日本とアフリカはマネーでつながっている

戦国時代の日本は、ドルが使えました。というか、ドルが通貨でした。独自通貨の「円」なんてありませんでした。

その国際通貨「ドル」とは、中国の明の永楽帝(1403〜1424年)の時代に鋳造された銅銭「永楽通宝」です。
で、その永楽通宝がケニアで見つかりました。
きょう(2013/03/18)通信社が外電として流しています
=写真はケニアで発見された中国・明朝の銭貨「永楽通宝」(米フィールド博物館提供・時事)

 【シカゴ時事】
 米中西部シカゴのフィールド博物館は17日までに、同博物館と米イリノイ大などの研究者チームがこのほど、約600年前に鋳造された中国・明朝の銭貨「永楽通宝」をケニアのマンダ島で発掘したと発表した。
 永楽通宝は15世紀初めの明朝の永楽帝時代に鋳造された銭貨。室町時代の日本に大量輸入されていたことでも知られる。フィールド博物館によれば、今回発見された永楽通宝は1枚だが、欧州諸国が航海を通じて積極的に海外に進出した「大航海時代」よりも前に、中国と東アフリカ地域の間で交易が行われていた証拠とみられるという。

 現代の日本人の半分は、高校の「世界史」の授業で、永楽帝の時代に鄭和という宦官が大船団を組んでアフリカまで到達したことを習っていますから、この欧米では「シンジラレナーイ」なビッグ歴史ニュースも、「懐かしい〜!」ネタとなります。

 たぶん、「宦官」というワード的にも、欧米人には映画とかエジプトの朝廷など軟弱なイメージしか知らないから、「玉名市」の男が荒れ狂うインド洋を航海したなんて、信じられないでしょうね。

日本独自の通貨が生まれるまで

 さて、さて、ではこの基軸通貨「永楽ドル」は日本(主に東日本)ではどんな感じだったのでしょう。

 戦国時代には、永楽以外にもボロボロの中国銭が流通していました。要は銭の形をしていればなんでもよかったのです。
 でも、大名たちは経済を統制したいので、なんとかして永楽銭だけを使わせたい。というのも、ほかの大名との交易などで使えるのは、基軸通貨の永楽銭だけだったからです。
 在地の庶民はそんな事情は関係ないので、どんどん永楽以外の銭をまぜて使っちゃう。
 お殿様はイライラです。

 そんなわけで、貴重なドル(永楽銭)VSウォン(ほかの悪銭)の交換レートは、最大で1:7もありました。(1574年頃)通常は1対2〜3くらい

 当然ながら輸入品なので、数に限りがあります。

 江戸幕府を開いた徳川家康は、1608年に永楽通宝の流通停止を命じました。
 このときの交換レートは、永楽銭1貫目=悪銭4貫目=金1両でした。

 とりあえず永楽銭を金や銀と替えることで回収。
 ほかの外国銭の回収する、つまり自前の銭を作るようになった、のは、それから四半世紀後の1636年。

 
 あれですよ、あれ

寛永通宝

 これこそが独自通貨の誕生なのです。「円」の祖先です。

 もうかる仕組み(銭儲け)をしらべるマンガ。おもしろいです。
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