もうノンフィクションで感動の涙は流せないのか? #門田隆将 #著作権
門田隆将といえば、戦中・戦後史、現代史での数々の名ノンフィクションを手がけてきた人だ。
一番有名なのは、光市事件の『なぜ君は絶望と闘えたのか』です。
被害者の夫の本村洋さんと二人三脚で、日本の被害者支援の仕組みまで変えました。
わたしもファンで、ほとんどの著作を読んでいますが、門田作品は、すんごい臨場感があるのが特長です。
1)(わたしをふくめ)歴史研究家や作家のやりがちな「〜という」、「〜によると」などの表現。言いようによっては一種の「逃げ」。
2)ノンフィクション作家でありがちな、「俺が見つけた」「俺の冒険録」的な、「おれってハードボイルドだろ」な作家が全面にでて「ウザイ」。
という一般的な表現方法を使わず、
これは現実か小説かというくらいのリアリティで、がんがん読者をあっちの世界へ引きずり込みます。
ところが、そんな「表現」に逃げを打たない勝負するスタイルがかえって、こんな裁判になったようです。↓
問題となったのは、門田氏が複数の遺族を取材し、2010年に出版した「風にそよぐ墓標」。この中の記述が、事故で夫を亡くした池田知加恵さん(80)(大阪府)が96年に出版した「雪解けの尾根」の表現と酷似していると指摘された。
(略)
出版差し止めと廃棄については仮執行宣言は付かず、判決確定まで書店などから撤去されない。
読売新聞
この本ですね。
日航機墜落事故がテーマです。本棚にあるので持ってきましたよ。
帯には
「男たちはなぜ語らなかったのか。彼らが胸の内を吐露し始めるまで四半世紀の歳月が必要だった――」とあるように
遺族たちのなかでも特に「父と息子」に焦点をあてた物語なのです。
ところが訴えているのは、息子ではなく奥さんなんですよね。ここがまず引っかかりました。この本のテーマは「父と息子」なので。なぜ妻が?
本の中で池田さんが出てくるのは第3章の「マスコミとして、遺族として」です。
この池田さんの息子さんは、読売テレビの社員です。亡くなったお父さんは東レの人。
お母さんの手記から盗用したと訴えられているわけですが、この章を読むと、お母さんはちょい役なのです。「語り手」はテーマにそって息子なんですよね。
どこがお母さんの手記とかぶっているのか分かりませんが、お母さんは主役ではない。だから、まるまる写したということはたぶんない。
で、あとがきを見ると、
この作品は以下の方々の惜しみのないご協力により、初めて成りたったものである。ここに名前を挙げて、せめてもの私の感謝の気持ちとさせていただきた。
と書いてあって、
池田さん奥さんも息子さんも名前がちゃんとある。
さらに参考文献にも
『雪解けの尾根』(池田知加恵・ほうずき書籍)
とばっちり明記されているんです。
著作権法上、「引用」が認められているのは言うまでもありませんし、参考文献にもちゃんと載っていて、本文でも池田さんの話や本をもとに構成していったというのは明白だと思うのです。
なのに、なぜ著作権侵害という判断が出されたのか。。。
うーん、法律詳しくないからなのか、ちょっと理解できません。
わたしも書き手なので、参考文献であげていても著作権侵害って、こわいなあ、と。
考えられるのが、門田スタイルというのは、
読者が文を読み、没頭させるのを邪魔する要素はすべて排除する(筆者の姿すら)
という、読み手としては面白いけど、オンリー1な書き方(類書がない)という点が、裁判官には理解されなかったのかなぁ。
それなら、あんな書き方できないから、まあいいや笑