「奇跡の一本松」はなぜ地元にとって重要な存在なのか。災害の歴史から振り返る
奇跡の一本松はなぜ「特別」なのか。歴史から振り返ってみました。全文はこちら
タイトルは「奇跡の一本松は何を背負う」
2013年3月22日、岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」が再び立ち上がった。
皆さんご存知かもしれないが、現在の一本松は、呼吸をしてないモニュメント。枯れ死した幹や枝を解体し、保存処理をかけた上で元の高田松原へ戻すのには総額1億5000万円もの費用がかかった。これには「他の復興事業に回すべきではないか」との反対意見も噴出した。
しかし、である。一本松は、金額では決してはかれない、大切な歴史を背負っている。批判は、それを知ってからでも遅くはないだろう。
見出しは
集落を飛砂から守るために植林された
造林事業が遅れたのは大阪冬の陣・夏の陣のせい!?
三陸大津波やチリ地震津波からも守ってくれた
こんな感じで、恵美嘉樹のいいたいことはこうなります↓
陸前高田にとって、この一本松とは「たまたま残った一本」ではない。これまで先祖たちが育て、その先祖たちを守ってくれた大切な松林。感謝の思いが凝縮された一本でもあるのだ。
以上は、きょうからはじまった恵美嘉樹のWEB連載1回目のダイジェストです。
ハザードラボという震災情報のHPです。
http://www.hazardlab.jp/think/news/detail/6/4/642.html
過去の歴史地震や噴火など災害(ハザード)について、具体的な史料、遺跡、逸話から紹介していきます。
どうぞよんでやってください。
豊臣秀吉が暮らしていた伏見城は1596年、慶長伏見地震に襲われ天守閣が崩壊した。
遡ること約700年。平安時代の869年に起きた貞観地震では、陸奥国(東北地方)が津波の渦に呑み込まれて多数の死者を出している。
後に東日本大震災が千年に一度の規模とも言われる由来となったこの大地震、その様子は古文書の『日本三代実録』に残されていた。
『陸奥國地大震動 流光如晝隱映 頃之 人民呼 伏不能起』
『東北で大地震が起きた。空が閃光で光り、人々は泣き叫んで立ち上がることもできない』
歴史は確かに過去の記録にすぎない。
しかし、それは我々の祖先が残してくれた大いなる記憶でもある。
当連載では、難解な古文書をやさしく紐解くことで災害の今昔を学んでいきたい。