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歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

【速報】真田幸村の死に新説

 1615年の大坂夏の陣で死んだ名将・真田幸村が、みずから首を差し出したのではなく、戦場の混乱で殺されていたという説を、読売新聞がきょう(2013年2月25日)紹介しています。

 戦国マニアでは常識ですが、「幸村」という名前での確実な史料はありません。
 ちゃんとした名前は、「信繁」。


 幸村の死についての異説としては、むしろ死んでいないで、薩摩に逃げたというものが有名ですが、今回のは面白いですね。ちょっと調べていければ追記していきます。【追記あり、福井県バージョン】

松平文庫は、江戸時代に福井藩で作成・使用された公文書類(藩政資料)や越前松平家福井藩校に伝来した書籍(国書・漢籍)など、一万点を超える資料群からなっています。

福井県立博物館HPより

1615年の大坂夏の陣で戦死した武将・真田幸村の最期を記した覚書が、越前松平家に伝わる古文書集「松平文庫」(福井県図書館保管)から見つかった。

 同家の家臣と戦って討ち取られたと記されており、戦わずして首を差し出したとの定説を否定する新説だ。

 幸村は、大坂夏の陣で徳川軍の本陣に迫って家康を窮地に追い込み、「日本一の兵つわもの」と呼ばれた。覚書は、徳川方で参戦した、のちの福井藩主・松平忠昌の戦功を記しており、福井市立郷土歴史博物館が昨夏、文献調査で発見した。

 幸村の最期は「もう戦う気はない。手柄にせよ」と、のちの福井藩士、西尾仁左衛門に首を差し出したとする逸話が知られており、徳川幕府の史料にも残る。

 だが、覚書では、仁左衛門が、相手を幸村と知らないまま槍やりで戦い、討ち取ったと記述。後に、家臣が陣中見舞いに来て、幸村の首とわかったとしている。(読売新聞)


【追記】
 福井県版(ネットは有料「読売プレミアム」)にも載っていました。
 有料版(といっても、購読者は月150円!安っ!)なので、そのままは載せませんが、
 大河ドラマ天地人」の原作者で、小説の「真田三代」の作者火坂雅志さんがコメントしています。

・誰の首がわからないという間抜けな点がむしろ信憑性がある。
・描写もリアリティーがある

 歴史作家の津本陽さんは
・夏場の戦いで体力を使い果たしており、槍を交えたという新説へは懐疑的

 とのことです。

 それぞれ、説得力がありますが、なぜ歴史作家「だけ」にコメントをとるのか。謎です。

 普通に、専門家の評価も聞きたいところです。


 武田・真田の研究家なら、この人とか↓

 まあ、ネタバレすると、細川家の記録などの同時代の別の史料でも「越前宰相の鉄砲頭がうちとったが、負傷して瀕死のところをとっただけなので手柄ではありませんね」とか言われているのです。


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