歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

衝撃!二・二六事件では昭和天皇を殺害する計画まであった新証言

 天皇絶対崇拝の青年将校がその「天皇陛下」を弑(しい)する計画をもっていたとは。「弑する」とは、臣下が主君を殺すことです。こんな驚きの証言がありました。
 まさに近代史を揺るがすニュース。だけども、今のところ、ほとんどの人が知らないという。

事件のおさらいから

 昭和11年(1936)2月26日に、陸軍の若手将校がクーデター未遂を起こしたのが二・二六事件です。
 大蔵大臣の高橋是清や内大臣斎藤実らが殺害された西南戦争以降、最大の「内乱」でした。

 実行したのは、将校と兵士約1500人。永田町を制圧し、一時は「クーデター成功か」とも思われました。
 しかし、股肱の臣である内大臣らの殺害を耳にした昭和天皇は激怒。みずから近衛師団を率いて討伐するとまで言ったとされています。(『本庄日記』より)
 
 クーデター側と妥協しようとしていた陸軍上層部は、陛下の激高に、強硬姿勢に転じ、29日に、クーデター軍は投降しました。

 この青年将校たちは「皇道派」という、陸軍官僚ではなく、天皇陛下に絶対帰依するという思想を持っている人たちでした。

 将校の一部は、直接、陛下へ説得し、了解をもらいに行きます。しかし、途中で偽装がばれて、会えずじまいだった、というのがこれまでの定説です。

 もしも会えていたら、昭和天皇は「うん。やってよい」と言ったでしょうか?
 とてもそうは思えません。

 陛下に絶対帰依の青年将校は、もしも「だめ」と言われたらどうするつもりだったのでしょうか。

 なんと、昭和天皇を殺すという驚きの計画があったのです。

 きのう(2013年2月19日)の産経新聞のオピニオン欄のコラムで、湯浅博さんが書いています。

 宮城を占拠したのは、満州帰りの中橋基明中尉だった。坂下門警備を偽って宮城に入ったものの、偽装を見破られて占拠計画は失敗する。堤さんはこうした通説を語ってから、将校の一人から「ここだけの話」とくぎを刺された一件を語る。

 中橋は単身、宮中奥に乗り込み、決起の趣旨を直接に上奏しようと試みた。そこに陸軍士官学校で周期の大高政楽少尉が立ちはだかる。中橋は拳銃を突きつけるが同期の桜が撃てない。これが叛乱軍の決定的な敗北につながっていく。

 決起を主導した磯部浅一は後に、天皇が決起の趣旨を受け入れなければ「そのときは腹を切るまでだ」といっていた。

 だが、堤さんが聞いた将校は、言いよどんでから「ここだけの話ですが、その時は陛下を弑(しい)し奉り、自決する覚悟でした」と静かに語った。
 それが事実なら明仁皇太子が帝位につくが、いまだ3歳である。摂政が欠かせなくなり秩父宮の親政になる。

 

 この元ネタは、湯浅さんも書いているとおり、文芸春秋の編集長だった堤堯さんが昨年12月に創刊された『季刊マグナカルタ』に書いた内容です。恵美嘉樹はさっそく買いましたが、まだ届いていないので、孫引きです。(ついでに、このコラムの存在を知ったのは、門田隆将さんのブログですので、実際はひ孫引き?)

 それにしても、すごい証言。。。