地震予知をした戦前と戦後の二人の「今村」さん
ロシアの隕石の映像は、映画「アルマゲドン」を思い出した人もいると思いますが、恵美嘉樹は同じ頃に同じネタで公開された「ディープインパクト」を思い出しました。
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小さすぎる隕石は把握できないものの、ある程度の大きさの小惑星なら落下の有無が予測できるすごい世の中になっても、いまだ地震の予知だけはうまくいっていません。
3・11を予測したとして話題になっていた電磁波による予知は、いま、無料で公開されていますが、ただ、そのサイト「ハザードラボ」でもみずから「確実ではない」とうたっています。
地震はむかしからあるので、当然、陰陽師はじめ、予知しようとしたはずですが、暦や星をみても、あたりはしません。
はじめて歴史的に地震予知を周期から明らかにしたのは、大正時代の地震学者の今村明恒(いまむらあきつね)さんです。
今村さんは
東京を襲った江戸時代の地震を歴史からふりかえり
1649年
1703年
1855年
と、50〜150年間隔になっていることから、前の大地震から50年後の1905年に「近いうちに大地震の再来を覚悟しないといけない」と指摘しました。
今も昔の学者の言う有用な意見は、経済や政治に大きなダメージを与えることが多いので、このときはどうだったのでしょう。
はたして、案の定「風評被害」をあおったとして逆に批難されます。
ところが、その18年後の1923年に関東大震災が起きるのですが、もちろん今村さんの予知はいかされず、東京は大被害を受けました。
そして、一転、今村さんは時の人として注目されます。「予言者」としてです。
こんどは今村さんは、南海トラフ地震の観測のために、資材を投じて観測所を設置するなど努力します。
そして1944年に、南海トラフ地震が起きるのですが、ときは太平洋戦争まっただなか、なんと政府はこの地震の存在を封印してしまうのです。
残念ながら今村さんの努力はほとんど役立たなかったのです。
こうして戦後まもなく、今村さんは79歳でなくなりました。
そして21世紀。
2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。
この地震を今村さんと同じように歴史から予知していたのは、東北大の地震学者の今村文彦教授です。
同じ「今村」姓。もしかして関係あるのでしょうか。
今村教授は、平安時代や弥生時代にも東北沿岸を襲う大地震津波の痕跡があることから、「1000年に1度」の大地震の再来への警告をしてきました。
東電にも津波対策をアドバイスしたのに、無視されて大惨事を招いたのは有名な話です。
では、戦前の「今村」さんと同様に、戦後の「今村」さんの地震予知もムダだったのでしょうか?
今村教授は、仙台などの沿岸部で、地元住民にむけて津波の危険性をとく講演会を3・11の前から積極的に行ってきました。
震災後に、各種の報道で「今村さんたちの話を聞いていたからすぐに逃げて助かった」という多くの声が紹介されました。
自治体や電力会社など大組織はたいした進歩をしていませんでしたが、「学問が人を救う」という理念は確実に進化、継承され、たくさんの人を救ったのでした。
戦前の今村さんの話は、保立道久『歴史のなかの大地動乱』(岩波新書)を参照しました。(戦後の今村さんのお話は恵美嘉樹の記憶を参照しました)