歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

飛鳥時代のNo2蘇我馬子の邸宅は王宮なみだった?発表ではなく「リーク」っぽい報道に謎が深まる

 東京新聞ほか共同通信が以下のようなややこしい記事をきょうの夕刊に載せています。

 飛鳥時代の大豪族蘇我馬子(そがのうまこ)(生年不明〜六二六年)の邸宅とみられる建物群跡が確認された奈良県明日香村の島庄(しまのしょう)遺跡で、塀跡とみられる大型柱穴列が見つかっていたことが九日、分かった。二〇一一、一二年に村教育委員会が調査していた。
 この遺跡で建物群跡のものとみられる七世紀前半の塀跡が見つかったのは初めて。

添付されている図(下)を見ないと、よくわからない内容です。

 馬子の邸宅跡が見つかったのではなく、それを取り囲む塀が見つかったということです。

 ちなみに明日香村の担当者が

調査した西光慎治主任技師は「柱穴の一辺が一メートル以上あり、宮殿クラスの規模といえる。立派な塀で囲われた邸宅だったのではないか」

とコメントしています。

 村が発表したのではなく、1、2年前に調査して、もう埋めてしまったものが今になって「ニュースとして」出てきた。。。
 

 きのう明日香村の隣の橿原市が、6世紀後半の磐余宮(聖徳太子父親)に関係する発見を発表したばかりですが、その翌日に出てきたのは、なにかライバル関係でもあるのかなと、勝手に想像しています。

聖徳太子派(橿原市)VS蘇我派(明日香村)

という(脳内)構図です(笑)


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