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歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

戦国大名、浅井氏を復習する

 ウェッジ社の「ひととき」で連載している古代史旅紀行「アキツシマの夢」の次回の舞台は、琵琶湖です。

 琵琶湖といえば、最近のパワースポットブームで注目されているのが、湖に浮かぶ神域「竹生島(ちくぶ)」です。
竹生島 #34 - 無料写真検索fotoq
photo by Hisashi Photos
 この島の神様は、女性で「浅井(あざい)姫」。
 浅井とは対岸の地名で、戦国時代に信長に滅ぼされた浅井氏はそこの領主でした。
 
 ということで、古代ではありませんが、浅井氏のことも再勉強しています。

 以下、2008年に書評した、人物叢書『浅井氏三代』宮島敬一著(人物叢書吉川弘文館)を再掲します。(2008年刊行)

浅井氏三代 (人物叢書)

宮島 敬一 吉川弘文館 2008-02
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 本書は、織田信長に滅ぼされた近江の戦国大名浅井氏の半世紀を原史料を中心に描いています。
 著者は、1948年東京都生まれの佐賀大経済学部教授。

 「戦国大名のすべてが領国拡大(国盗り)・覇権意識をもったとは考えない」(P6)という最近の戦国時代研究の主流なスタンスで、覇権主義の権化たる信長に対抗した浅井氏の姿を好意的に浮かび上がらせようとします。

 戦国大名には、領地の拡大を目指す大名と、在地の勢力を維持しようとする大名に分かれるという最近の史学界の常識をさらに進めて、著者は、前者を後進地の大名、後者を先進地の大名とグルーピングします。

 その上で、近江を本拠とする(京都に近い)浅井氏は、もう少し上品に下克上を果したと主張します。(田舎ものは野蛮だ、ということのようですね。)

 上品というのは、筆者の言葉によると、

「本書で叙述しようとしたのは、合戦を生き抜いた武将としての姿ではない」

となります。信長のような専制君主によるトップダウンでなく、地域に根ざした「国衆」との合議的なボトムアップこそが浅井氏の生き様だと展開していきます。

 そうした対比は面白い視点なのですが、どうも「民主主義」的なものへの高評価、もっと言ってしまえば社会党的な平和主義の残り香が漂うのが気になります。

 著者の論の中心となるのは、1534年に、浅井長政(信長の義弟)のおじいさんが北近江の守護の京極氏から下克上を果して戦国大名になったとの主張です。

 この饗応は、浅井亮政(とそれを支える「国衆」)が、京極氏権力内において政治的地位の平和的名「承認・確保」(権限委譲)を可視的に演出した「儀礼の場」であったといえよう。(中略)それは北近江における新たな地域社会秩序の成立(「下克上」)といえる(P72)

 下克上なのに、武力によるものではなく、饗応という接待の場で下克上が行われたという、なかなか面白い新説を掲げます。

 「私は、戦国期における新たな勢力、戦国大名の「誕生」として、このような事例を知らない」(P72)

と続き、恵美の興奮もいやがおうにも高まりました。わくわくしながら読み進めようとした、その直後!

 「ただ、この饗応(新たな秩序)は、必ずしも江北の武家社会に受け入れられたわけではない」(P72)

あれっ???
 ここでいきなり論が破綻してませんか?うーん。。。

 『信長とは何か』(小島道裕著)のような、覇権主義の信長とは別の価値観、方法による天下統一の動きが、経済活動のなかにすでにあった、という刺激的かつ論理的な展開を期待していただけに、ちょっと飛躍しすぎなのは少し残念です。

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 当然、最後まで同じ結論は続いていて、

 「浅井氏三代、少なくとも半世紀をかけて、合戦(暴力)ではなく、「国衆」とのかかわりで形成されたと理解した」(P270)

 としますが、巻末の詳細な年表を見れば、いかに暴力によって浅井氏がその地位を築いたかが一目でわかってしまうのです。
平和主義の残り香と指摘したのは、浅井氏を理想的な人物として描きたいという思いがところどころにでてしまい、それが肝心の論の中心に添えてしまっているからです。

 批判が多くなってしまいましたが、この本じたいはとても面白いです。
 江戸時代の軍記物を省いて、良質な日記や書簡に基づいて、歴史の敗者の実像を探るという試みはとても意義深いし、かなりの労力だったと思います。

 なかでも恵美が注目したのは、浅井氏と朝倉氏との関係の「薄さ」でした。

 もともと両氏は深い同盟関係がふるくからあり、そのために浅井は信長を裏切ったというのが定説です。
 
 しかし、

 「朝倉方の史料から、(朝倉)教景は六角氏に合力して浅井氏の小谷城を攻めたことが分かる」(p55)

 

 なんと朝倉氏は浅井を攻めたり、浅井を見捨てたりしたこともあったそうなのです。
 むしろ信長のほうからは裏切っていない。こちらのほうが戦国史を揺るがす重要な説なのではないでしょうか。


 また、なぜ浅井長政が信長を裏切ったかについてのヒントをもらいました。

 著者の仮説と違うのですが、恵美は
 「信長は長政を「家来」と見なした(後略)」(p200) という点に尽きるのではとの推論に辿り着き、長年の謎に自分なりの一つの答えが出てすっきりしました。

 名実ともに大名になりたくて、大名の妹を欲しがった長政。地理的な戦略から「妹くらいやるわい」とお市を「部下」にあげたつもりの信長。このすれ違いが戦国のドラマを生んだのではないでしょうか。

 そうだとすると、信長は東の徳川家康のことは同盟者と認めたのに、どうして西の浅井は軽んじたのでしょう?

 新たな謎が生まれました

信長過去エントリーまとめ