ツイッターで盛り上がる「江戸時代以前の日本に体罰はなかった」説に歴史的に反論してみる
ツイッター、はてブなどでものすごい勢いで広がっている
ShinShinohara氏の「体罰の起源」に
日本の伝統には鉄拳制裁のような「教育的体罰」は存在しなかったようだ。だが、かつて体罰が積極的に導入されていた文明がある。西洋だ。日本の体罰は軍隊の体験が起源だろうが、理論補強したのは西洋の伝統なのかもしれない。
一言もの申す!!
「体罰」という言葉は新しいけど、行為としての体罰はとうぜん軍国主義以前から日本にもありました。
今回のShinShinohara氏の一連のツイートもまた、
「江戸しぐさ」に代表される史実に基づかない
江戸時代=パラダイス妄想の一環だと思われます。
江戸しぐさも、江戸時代はエコ社会という現説も、まあほとんど幻想なのですが、同じように江戸以前の教育は体罰伴わない、という誤解が広がらないように、一石投じておきます。
まず「体罰」という単語はたしかに新しいです。
手元で確認できる最古の例は
明治33年(1900年)の
小学校令47条
「小学校長及教員は教育上必要と認めたるときは児童に懲戒を加ふることを得
但し体罰を加ふることを得ず」
です。
子どもを教育上の理由で懲戒してもいいけど、体罰はだめだよ、という法令です。
法律に「だめだよ」ということは裏返せば、明治33年には
小学校において体罰がすでに広くあったことを意味します。
これだと、なんだ、やっぱり明治の軍国主義からじゃないの?
となりそうですが、
たんに言葉が違うのです。
江戸時代以前は、
「体罰」ではなく「折檻」(せっかん)という言葉を使っていました。
例えば室町時代の説話集『三国伝記』(15世紀)には
「父の折檻ありし後は、再び来たりたまはず」(原文を現代語表記にしています。以下同じ)
とあります。
同じく15世紀の正徹物語にも
「予がよき歌を詠まんとするとて、(略)折檻ありしなり」
16世紀の能曲「満仲」では
「彼幼き人、学問には心を入れたまわで、明暮ぶげい(武芸)の御嗜みそうろうほどに、御折檻のためにてそうらひつらん」
などなど
「体罰」と考えられる行為はたくさんあります。
「体罰」がヨーロッパでは「公」にされていた
というのは、ツイッターでShinShinohara氏が言及しているとおり事実です。
それはキリスト教が「人間には原罪がある」だから、堕落してしまうから
「叩け」「叩け」という思想があったからです。
なので、彼らは宗教心に基づいていると思っているので、隠しません。
だから、日本よりも記録に残りやすいのは事実でしょう。
この流れ(キリスト教=体罰起源)で
ShinShinohara氏が以下のようにツイートしていますが、
西欧ではルソーが現れるまで、子供を厳しく躾る家庭が多かった。鞭打つこともしばしば。こんなむごいことをしていた原因は、2つ考えられる。キリスト教の原罪の意識と、自らを厳しく律しようとするストア学だ。
実はそのルソーも体罰は容認していたのです!
このことは辞典(小学館「日本大百科全集」)にも書いてあることです。
体罰の思想的背景として、『旧約聖書』の思想やカルビニストたちに代表される原罪思想(神の掟(おきて)に背いた人間は堕落し、悪魔の支配を受けるようになったという思想)がある。
この思想の下に、子供の矯正の手段として体罰などが正当化されてきたのである。
また日本でも、一般的には体罰が広く行われていた。このように、体罰とは世界の歴史のなかで、子供を矯正し、しつける、重要で有効な手段として広く用いられてきた両刃(もろは)の剣である。
この項目(体罰)の執筆者である二宮皓さんは世界の教育を比較する研究者さんです。
こうした「百科全集」にも載っている程度のことも、(wikipediaにはないのでしょうね)
参照せずに、なにかの歴史を語るって怖いなぁ〜。
と、
氏のツイートがどんどんリツイートされていくのを見て、おもわず筆を取った次第です。
ちなみにわたくし恵美嘉樹は
と考えていますので、そこらへんは誤解しないでください。
ただ、歴史的な事実をちょっと調べることもなく、
思い付きで
ないことを証明する(この場合は江戸時代前には体罰教育はなかった)のは、
非常に魅力的ですが
非常に危険なことなんだ
ということを少しでも感じていただければ幸いです。