歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

書聖「王羲之」の精巧な模本が「大報帖」やっぱり日本で見つかった。遣唐使がもってきたもの?これは大発見すぐる!

東京新聞より
毎日新聞のスクープですが、1面でもなく、真ん中のほうにひっそりと。なぜ???
正直、各新聞の1面を飾った「最古級のひらがな」よりずっとすごいことなのです。皿にかかれたひらがなは国宝にはなりませんが、この王羲之の「大報帖(だいほうじょう)」これは近い将来、国宝になります。

いま、みなさんが読んでいるフォントの基礎も、みな源流をたどると王羲之(おうぎし)さんにあたります。

これは毎日新聞が主催し、トウハクで1月22日に始まるスーパー特別展「書聖 王羲之」に伴うものです。
ですから、毎日新聞がスクープするのはわかるんですが、もっとちゃんと大きく扱えばいいのになあ?

この特別展にはぜったいいくつもりでしたが、この世紀の大発見で混んじゃうかな?それとも関心ない人はべつに関心ないから影響ないかな。

ちなみに、王羲之が書いたそのものは世界に1つたりとも残っていません。
で、今回のように王羲之に限りなく近いレプリカというのも、国宝級。万が一、直筆なんて出てきたら即世界遺産です。

ところが、こういういい状態のレプリカ(模本)は、ほとんどが日本にあります。これも遣唐使が持ってきたものを綿々と伝えた可能性が高いのです。
中国には全然残っていません。破壊、再生、破壊、再生の舞台だからです。

古代の中華文化が文化として(遺跡で出てくるのは別です)残っているのは、はっきりいって日本だけ。

ですから、今回もこうした発見があるのは、日本でしかあり得ないのです。もし中国で「発見」されたら、まあかなりの確率で「捏造品」です。

これまでこの書は、日本史上の名筆家である小野道風の筆とみられていたため、スルーされちゃったようですね。あらあら。

王羲之のいい模本は
国宝「孔侍中帖(こうじちゅうじょう)」(前田育徳会蔵)
「妹至帖」
「喪乱帖(そうらんじょう)」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)
などがあります。

毎日新聞 2013年01月08日東京朝刊

 中国・東晋(とうしん)時代に活躍した「書聖」、王羲之 (おうぎし)(303〜361年、異説あり)の精巧な模本(写し)が見つかり、東京国立博物館(東京都台東区)によって鑑定された。字姿や文面などから、7〜8世紀の中国・唐時代に宮中で制作された写しの一部とみられ、真筆が残っていない羲之の書を伝える貴重な資料となるのは確実だ。

(略)
 今回発見された写しは縦25・7センチ、横10・1センチの紙に、3行にわたり24字が書かれている。紙は従来の写しと同様、縦に線のある縦簾紙(じゅうれんし)。幕末から明治にかけての古筆鑑定の権威、古筆了仲(こひつりょうちゅう)が「小野道風(おののみちかぜ)朝臣(あそん)」筆と鑑定した紙(極札(きわめふだ))が付されていた。

 内容は「(便)大報期転呈也。知/不快。当由情感如佳。吾/日弊。為爾解日耳」と読み取れ、「大(親類の名)に関するしらせは、期(き)(羲之の子の名)が連絡してきました。ご不快のご様子。心の赴くまま、情感に従うのがよろしいかと存じます。私は日々疲れております。あなたのために日々を過ごしているだけです」と理解できる。手紙の一部とみられ、羲之の日常生活と心境の一端がうかがえる。冒頭の文字から「大報帖(たいほうじょう)」と命名された。

【追記】
2013年1月8日の毎日新聞の解説

王羲之:模本「大報帖」発見 遣唐使が名筆運ぶ 手鑑で受け継がれ

(略)
 今日に至るまで手本とされている羲之の文字は、遣唐使らによってわが国にもたらされた。

 中国・唐の第2代皇帝・太宗(たいそう)(在位626〜649年)は羲之の書を愛好し、最高傑作「蘭亭序(らんていじょ)」などを国中から収集。

 搨書手(とうしょしゅ)と呼ばれる専門職人に精巧な写しを作らせ、臣下に分け与えた。

 一部が僧の鑑真(がんじん)や、遣唐使吉備真備(きびのまきび)らによって日本に伝えられた事実は、「東大寺献物帳」に記録がある。宮廷人らはこれを手本とし、光明皇后が羲之の模本を臨書した「楽毅論(がっきろん)」(正倉院蔵)は、よく知られている。

 中国本国では戦乱などにより真筆や写しが失われていったが、日本では「喪乱帖(そうらんじょう)」▽国宝「孔侍中帖(こうじちゅうじょう)」▽「妹至帖(まいしじょう)」−−など世界的に貴重な写しが、大切に伝えられてきた。

 「大報帖」は、名筆の断片を収めるアルバム状の手鑑(てかがみ)に貼られていたらしい。付されていた紙(極札(きわめふだ))に「小野道風(おののみちかぜ)朝臣(あそん) 琴山」とあり、幕末・明治時代の鑑定家、古筆(こひつ)了仲(りょうちゅう)が小野道風筆と鑑定したことを示している。

 平安中期に「三蹟(さんせき)」の一人として活躍した道風は、羲之の書法をよく消化し、和様の書の基礎を築いた。五島美術館の名児耶(なごや)明・学芸部長は「了仲の生きた時代は、現代とは情報量も伝達速度も異なる。道風筆と鑑定されたのも、そのためとみられる。極札に道風の名があるため、後世の人も羲之の書と気付かなかったのではないか」と推測する。
(略)

【追記】
「日本語」で読める王羲之

王羲之の字典として日本で発行されたのは、

  1、王羲之大字典(東京美術)

  2、王羲之行書字典(雄山閣)

  3、王羲之書法字典(二玄社

の3種あります。

王羲之大字典 (1980年)

王羲之大字典 (1980年)

王羲之 行書字典

王羲之 行書字典

王羲之書法字典

王羲之書法字典