当初の紅白歌合戦は1月放送かつ、演歌のためではなく、セクシー路線だった【大みそか】
いよいよ2012年最後の日になりました。
若かりし頃は、「紅白歌合戦なんてダサイ」と裏番組を見ていましたが、なんだか最近は、なんとなく紅白みちゃっています。
産経新聞が昨日(2012年12月30日)、紅白歌合戦の歴史秘話を載せています。
最初は
- ラジオ
- 1月3日(つまりお正月の番組だった)
- 大みそかになったのは、正月に会場がとれなかったから
でした。
その原点は、「セクシー路線」を検討していたけど、GHQからにらまれて断念したとか、へぇ。
少なくとも戦後に作られた日本伝統である演歌のためではなかったのです。
演歌が「日本人の心」なんてものではないことを証明したのが下の本です。目からウロコの面白いのでおすすめ。
創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)
- 作者: 輪島裕介
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2010/10/15
- メディア: 新書
- 購入: 6人 クリック: 93回
- この商品を含むブログ (69件) を見る
創られた「日本の心」神話?「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史? (光文社新書)
- 作者: 輪島裕介
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2011/11/11
- メディア: Kindle版
- クリック: 1回
- この商品を含むブログを見る
来年はテレビ放送60周年ですね。いろいろ懐かしい映像の特番が目白押しでしょうね。ちょっと楽しみです。
テレビ放送開始を2年後に控えた昭和26年1月3日午後8時。紅白歌合戦の第1回は、東京・内幸町のNHK東京放送会館で多くの観客を前で産声をあげた。同年秋にはサンフランシスコ講和条約調印、敗戦国・日本がアメリカの占領下から自主独立に踏み出す直前のことだ。
ラジオのマイクに向かう出場歌手は、紅組が「桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン」の渡辺はま子、「星のためいき」の二葉あき子、「憧れの住む町」の菅原都々子ら。白組が「長崎の鐘」の藤山一郎、「赤城かりがね」の東海林太郎ら“戦前派”に加え、やはり戦前から歌謡界を支えてきた“古賀メロディー”の代表作「湯の町エレジー」の近江俊郎ら計14組。司会は声優の加藤道子、藤倉修一アナウンサーが務めた。
実は、この5年前。終戦間もない20年11月に“紅白のひな型”とされた「紅白音楽試合」が放送された。敗戦ショックから人々が心のよりどころを求める中、進駐軍を介してジャズなどの外国音楽が一気に流入した。「そんな新時代にふさわしい音楽番組を作ろう」との方針から、近藤積(つもる)プロデューサーは「スポーツ・セックス・スリル」の3要素を盛り込み、男女が分かれて戦う方式を発案した。
(続く)
下のボタンをクリックお願いします!励みになります。
にほんブログ村