歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

選挙ネタと見せかけて、大河ドラマ最終回をかすめて、やっぱり群馬の甲男子ネタです

現代、リアルな合戦はテレビで見られます。
その合戦の前には、フィクションの大河ドラマ平清盛」の最終回は消し飛んでしまったようです。気付けば(時間が変更されていたようです)終わっていたという。来週最終回でした。

選挙のほうは、ご存じのように民主壊滅となったわけですが、政権をとったのが維新などの第三極だったら、

自民(平安貴族)

民主(平家)

第三局(源氏)

となって、きょうが源平合戦だったのですが、
実際は自民→民主→自民ですから、民主とは平は平でも、平将門の乱だったのかもしれません。

と、

昨日2012年12月15日の上毛新聞(群馬県)の文化面に、例の甲(よろい)を着たままアボーン男の記事が載っていました。
今週はこればかりですが笑

能登健さんという新たなコメンテイターが登場しました。
災害考古学が専門の能登さんは「現代の警察官や消防士」との説をあげていて、面白いです。

 首長か武人か、儀式中か突然の被災か――。古墳時代の甲を身に着けたまま、渋川市金井の金井東裏遺跡から出土した成人男性の人骨。調査を担当する県埋蔵文化財調査事業団は、この人骨について「6世紀初頭、榛名山の噴火を鎮める儀式中に火砕流で被災した首長」とする説を打ち出した。1500年の時を超え現れた古代人をめぐっては別の見方をする研究者もおり、今後の調査研究の進展が待たれる。
 胴部分に鎧を着けた男性の人骨は榛名山に向かってうつぶせに倒れた状態で、近くから別の鎧1点と二十数本の矢尻のほか、乳児の頭骨も見つかった。

 同事業団は「これらの遺物の出土状況から、最も合理的な説明がつく」と、首長による儀式説を主張する。

 人骨が着けていた鎧は当時最新の「小札甲(こざねよろい)」と呼ばれるもので、首長層の墓に見られる副葬品だ。

 事業団資料統括の桜岡正信さんは「鉄のみだったり、鉄と革を使ったものがあるが、男性が着けていたのは上級の鉄のみの鎧だった。このことも首長層とみる大きな根拠の一つ」と説明する。

 この鎧に加え、矢尻がまとまって出土したことも、噴火の脅威に立ち向かう儀式を描き出す要素となっている。
(略)

 古墳時代にくわしい事業団理事、右島和夫さんもこの人骨を首長層とみる。しかし、儀式中という可能性については「自然の神と向き合う『カミマツリ』の最中であれば、『ハレ』の服装で臨んでいるはずで、鎧の装着は不自然」と指摘する。

 「この出土状況だけで、被災当時の行動はとらえきれない」としつつ、(1)(儀式とは別に)火砕流に巻き込まれた(2)別の場所から火砕流の爆風で飛ばされてきた―というケースも考えられるという。

 一方、「周辺に駐屯し、退避を呼びかける武人」と、別の人物像を説くのは群馬大講師の能登健さんだ。太田市出土の国宝「挂甲武人埴輪」の挂甲(けいこう)は小札甲の別称。

 「埴輪になるくらいだから当時、武人も存在した。火山災害に直面し、武器庫にいくつもある鎧を着用したのではないか。現代で言う警察官や消防士の役割を果たしたと考えられる」と推測する。

 能登さんは専門とする災害考古学の見地から、男性の最期の姿を分析。火砕流にのみ込まれて両膝をついたまま前のめりで死亡した姿は、イタリア・ポンペイで見つかった遺体と共通するという。「火砕流はしゃく熱の爆風を伴う。苦しさのあまりうつ伏せで亡くなる特徴がある」
(略)

列島の考古学 縄文時代

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