歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

【週刊歴史ニュースアラカルト2号】マヤ暦巡り「ナショナルジオグラフィックVSムー」勃発か

 創刊2号目の「歴史ニュースアラカルト」へようこそ!まさか2号がちゃんと週刊ペースで出せるとは笑 今週も1万字オーバーです。でも、目次つくりましたので、ご関心あるところだけ、どうぞ。(来週はちゃんとページ内でリンクできるよう勉強します) 



 310年前の12月14日(ただし旧暦)は「忠臣蔵」の日です。関連イベントがたくさんあるようです(後述)。

 まずは美しい写真=AFPのHP=から。
 有名なネフェルティティ像が発掘されて今年100周年で、ベルリンでは展覧会が開かれています。
あまりにも美しいゆえに?エジプトから返還要求がでているいわくつきのもの。でも、今のエジプトの原理主義政府にはぜったいに返さないでしょうね。

 タリバンバーミヤン大仏の破壊のイメージが根強いですから。どうしてもイスラム原理主義というと、日本人ですから、あのイメージがつきまといますから、キリスト教徒ならなおさら警戒心が強いのではないでしょうか。

 理想は、ちゃんと長く保存される安定したエジプトのもとに返還されることなのでしょうが。。。

AFPBB News
ソースURL: http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2915352/9948761?ctm_campaign=txt_topics

3400年前に作られたネフェルティティの胸像は1912年12月6日、ドイツ人考古学者がエジプトで発掘した。同博物館所蔵品の中でも最も貴重な文化財の1つだが、エジプト政府が返還を求めている。

古代エジプトのファラオ、アクエンアテン(Akhenaton、アケナトン)王の妃だったネフェルティティは、古代エジプト3大美女の1人とされる。石灰岩と石こうで作られた像は、右目の瞳と耳の一部が欠けた以外は3000年以上の時を経ても、その美しさを保ち続けている(2012年12月5日撮影)。(c)AFP/MICHAEL SOHN

【今週の目次】
【世界史】

ほか
【震災】

ほか
【人類以前】

  • 琵琶湖で象の足跡の化石

世界遺産

ほか
【弥生】【古墳】
奈良時代

  • 少年隊が大仏つくっていた

ほか
【戦国時代】

  • 信長以前のもうひとりの「天下人」のDVD化

ほか
【江戸時代】

  • 甲冑を本格的に新調するとお値段はいくら?
  • 忠臣蔵イベント一覧

ほか
【歴史旅】
2本
【韓国VS中国】

【世界史】

 ナショナルジオグラフィックでは、マヤ特集で、WEBサイト限定で、マヤの連載【マヤ文明と終末論の真実】が始まっています。マヤファン、マヤ暦世界滅亡におびえている人、必見です。

 ほかにも、パレンケ遺跡の墓地の本格調査開始という記事も、かなりの分量の原掲載という大盤振る舞いで、ムーの向こうを張っての正統なマヤ文明の姿を紹介しています。

パレンケ遺跡の墓地、本格調査開始
Catherine Zuckerman
for National Geographic News
December 3, 2012

 1999年に発見されたマヤ時代の墓地で新たな調査が始まり、鮮やかな赤の壁画に彩られた埋葬室の入り口が公開された。

 墓地の内部に初めて足を踏み入れたのは、メキシコ国立人類学歴史学研究所(INAH)の研究チーム。11個の土器と翡翠(ひすい)の小片も見つかったという。「赤は王墓の装飾によく使われる色で、マヤの人々にとっては血の象徴であり、神聖な生命力を表すと考えられていた」と、テキサス大学オースティン校でマヤ時代を研究するデイビッド・スチュアート(David Stuart)氏は話す。

 マヤ人の祖先を含むアメリカ先住民は、紀元前8000年前後にユカタン半島に定住を始めた。以降、グアテマラベリーズエルサルバドル 、メキシコ およびホンジュラス にわたるメソアメリカ地域で、いくつもの文明が興亡。文化的、科学的な業績と共に、現在もそびえ立つ数々の驚くべき建築物で知られている。

 マヤの古代遺跡パレンケは世界遺産であり、メキシコ南東部の密林地帯にある。紀元500〜700年頃にマヤの政治的中心地として栄え、1948年に本格的な発掘調査が始まった。

◆墓の主は誰か?

(略)

 知らなかったのですが、北海には海に沈んだ土地があり、海底から遺物が見つかっているそうです。
 8000年前ですから、日本では縄文海進によって、海が広がった時代。ということなので、同じように日本でも、海進前の縄文の早い時代の遺物は海底に眠っているはずです。


海に沈んだドッガーランド | ナショナル ジオグラフィック(NATIONAL GEOGRAPHIC) 日本版公式サイトソース
URL: http://nationalgeographic.jp/nng/article/20121120/331218/


北海で引き揚げられた謎の人骨や人工物。それは、海底に消えた人々の暮らしを伝えるものだった。
 北海の海底からは、ときに奇妙なものが引き揚げられる。人間のあごの骨、巨大な獣の牙、遠い昔に絶滅したサイの仲間の骨、磨かれた矢じり、模様が施された斧……。それらは遠い昔、「ドッガーランド」と呼ばれる大地に暮らしていた人々の痕跡だ。
 ブリテン島の東方沖には、かつては陸地が広がり、狩猟採集民が暮らしていた。だが8200年ほど前、海面上昇が進むとともに、人々は慣れ親しんだ土地を追われていった。
 気候変動に見舞われた中石器時代は、同じような状況に直面する私たち現代人が教訓にすべき時代でもある。当時の人々は、海面上昇にどう対処したのか。幻の大地「ドッガーランド」の謎を追う。
 現在の北海の底がかつては陸地で、しかも多くの人々が住んでいたというのは興味深いですが、そこが陸地だった当時の地形がかなり詳細にわかっているのも驚きでした。1万6000年前から現在にかけて変わっていく陸地の範囲を示した地図は、必見です。川や湖のあった場所もはっきり描かれています。また、現在では英国であまり見かけなくなったツルは、ドッガーランドの人々の貴重な栄養源だったそうです。確かめようもありませんが、ツルって一体どんな味がするんだろうと考えてしまいました。(編集M.N)

ほかにもナショナル ジオグラフィックでは、「フランスの小島で出土した石器時代の女性人骨」の写真を「壁紙」としてダウンロード提供中! これ、壁紙にする人いるの?
ソースURL: http://nationalgeographic.jp/nng/article/20121127/331979/index.shtml


フランスの小島で出土した石器時代の女性人骨フランス北西部のテビエク島の墓で見つかった中石器時代の女性たち。殺害された後に、装飾品で飾られ、埋葬されたようだ。海面の上昇により、居住可能な土地が減り、近隣のグループとの間で争いが起きるようになったのかもしれない。
写真= Robert Clark, at the Toulouse Museum, France

詳しくは雑誌を買ってくださいませ↓

【震災】

 グーグルが6日、震災遺構をストリートビューで公開したと発表しました。
 岩手県陸前高田市が10件、釜石市8件、大船渡市12件、原発で避難が続く福島県浪江町は4件とのことです。

 震災のアーカイブ化が重要で、この取り組みもとても大切だと思います。すごいことです。
 ただ、その担い手が日本の組織や企業でなく、グーグルというのは、仕方ないというのか、残念というのか・・・
 同時に、「震災で失われた思い出を、みんなで取り戻すプロジェクト 未来へのキオク」のHPも始めました。これもすばらしい取り組みです。

INTERNET Watch(2012/12/6 14:42)

 グーグル株式会社は6日、東日本大震災で被害を受けた岩手県福島県の4市町の施設34件の内部や外観を撮影したパノラマ写真を、ウェブサイト「未来へのキオク」とGoogle マップの「ストリートビュー」で公開した。
海岸から1kmほどの場所にあった岩手県陸前高田市の市役所庁舎に入ると、1階部分は津波で流れ込んだがれきや軽自動車が残っており、グーグルが数日前に撮影に訪れた際も花が供えてあったという。建物内部は、ストリートビューのように移動しながらその場で360度見渡すことが可能。さらにフロアの移動も可能で、同庁舎の2階にも津波の跡が残っている。窓の近くに行けば外の様子も見ることができるほか、屋上に出て周囲を見渡すと、跡形もなくなったかつての市街地の所々に重機が止まっているのが見える。

リンク先の記事では、
陸前高田市役所
陸前高田市定住促進住宅
大船渡魚市場
福島県浪江町の請戸小学校(屋上からは福島第一原発も見える)
が出ています。

 できれば、グーグルには、例のスキャンしたグーグルブックに、こうした自費出版した震災記録ものをアーカイブもお願いいたしたいです。ぜひ、ご検討を。

岩手日報・被災地ニュース
ソースURL: http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/y2012/m12/h1212062.html

陸前高田】古文書修復の記録集発刊地元研究会陸前高田市陸前高田古文書研究会(荻原一也会長)は、東日本大震災で被災した郷土資料の復旧過程をまとめた記録集を自費出版した。震災後の修復、保存の取り組みや会員の被災体験を紹介。郷土の歴史を後世に伝えるため一丸で活動した歩みを記録した。
 同会の細谷英男副会長ら3人が5日、市役所を訪れ、戸羽太市長に記録集を贈った。
 同会は長年、県指定文化財吉田家文書の解読に取り組んできた。しかし昨年の震災で会員3人が亡くなり、解読した文書のほとんどが流失した。
(2012.12.6)

  • 仙台城で270年前の地震で崩れた石垣を補修した跡が見つかる

河北新報 
ソースURL: http://www.kahoku.co.jp/news/2012/12/20121209t15023.htm

 仙台市教委は7日、東日本大震災で崩れた仙台城跡本丸北西石垣(青葉区)の復旧工事とともに進めている周辺発掘調査で、約270年前の地震後に石垣の補修材として使われたとみられる石材が見つかったと発表した。仙台藩正史「伊達治家記録」の記述を裏付ける史料という。
 石材は縦約50センチ、横約20センチ、厚み約15センチ。年号「元文」(1736〜41年)の文字が刻まれていた。伊達治家記録には、元文元年の地震で石垣が崩れ、幕府に修復工事を願い出た記録があり、石材はこの修復工事に使われた可能性が高い。

(略)
2012年12月09日日曜日

NHKニュース
ソースURL: http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121205/k10013984691000.html

12月5日 23時31 分
 東日本大震災では、数多くの古文書や絵画などの文化財津波につかって、かびが生えるなどの被害を受けていて、それをどうやって修復させていくかが、今も課題になっていることが、5日から東京で始まった国際研究集会で報告されました。
(略)
 集会では、東京文化財研究所保存修復科学センターの木川りかさんが、(略)▽資料を水で洗浄すると新たにかびが生えるおそれがあることや、▽薬剤を浸透させてかびなどを殺菌する「くん蒸」という方法でも、津波につかった資料の塩分と薬剤が化学反応を起こして、毒性のある物質が残留するおそれがあることなどから、資料を十分に乾かすことが必要だと指摘しました。
(略)

報告のあった研究の(おそらく同じ)内容は下からPDFで見ることができます。
http://www.tobunken.go.jp/~hozon/pdf/51/5109.pdf

岩手日報・被災地ニュース
ソースURL: http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/y2012/m12/h1212023.html
大船渡縄文時代の竪穴住居跡宮野貝塚から出土大船渡市教委が震災復興に伴い発掘調査している同市三陸町綾里の宮野貝塚から、縄文時代の竪穴住居跡や貯蔵穴が出土した。(略)
 宮野貝塚縄文時代前期(約5500年前)〜弥生時代前期(約2千年前)の遺跡。(略)
 今回は、住宅の高台移転に先立ち108平方メートルを調査。市教委生涯学習課の神原雄一郎主査が縄文時代の貯蔵穴や竪穴住居跡、土器、石器などの出土成果を解説し「縄文人骨の出土で知られる貝塚だが、今回の調査で、その人たちの住まいや生活が分かってきた。発掘調査に対する地域住民の理解に感謝したい」と結んだ。
(2012.12.2)


【人類以前】
ひこにゃん彦根城)のふるさとのお隣、滋賀県多賀町で、180万年前のシカの骨や象の足跡など16点の化石が発見されました。
多賀町では、1993年にアケボノゾウの化石が発掘されていて、来年で発見20周年となるのに合わせて、記念事業を考えていました。それに地元のびわ湖放送のテレビ番組が「古代ゾウ発掘プロジェクト」の共同調査の企画を持ちかけられ、試しに掘ってみたら出てきたそうです。

詳しくはびわ湖放送の放映を待て!って、いつやるんだか分からないですし、地元以外では見られないでしょうね。

(CHUNICHI Web)
ソースURL: http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20121208/CK2012120802000012.html



世界遺産

 あのバーミヤンの大仏を爆破した悲劇のアフガニスタンで、テロや戦争ではなく、「開発」で重要な遺跡を破壊するという、中国の文化への無意識ぶりには正直、怒りを感じます。
 「覇」をとなえるなら、これまでの中華帝国同様に、せめて中華としての品格を備えてほしいものです(皮肉です)


NHKニュース
ソースURL: http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121208/k10014046611000.html

 中国の国有企業が進めている銅鉱山の開発計画に伴い、アフガニスタンにある貴重な遺跡が破壊される可能性が高まっています。
東洋と西洋をつなぎ、その文化の交流に大きな役割を果たした「シルクロード」のルートの1つがこの遺跡を通っていて、日本の研究者などからは保存を訴える声が上がっています。

 貴重な遺跡に迫る消滅の危機破壊される可能性が高まっているのは、アフガニスタンの首都・カブールの南東40キロほどのところにあり、紀元前2世紀から紀元後8世紀ごろのものとみられるメス・アイナク遺跡です。
 “銅の泉”という意味を持つこの遺跡の周辺には大量の銅鉱石が埋蔵されていると考えられ、2007年、中国の国有企業がアフガニスタン政府と30年契約を結んで採掘を行う権利を取得しました。これに伴って、アフガニスタンの情報文化省や研究者などが遺跡の重要性を訴えたところ、2009年からことし12月末(=今月末)までと期限を区切ったうえで、発掘調査が行われることになりました。
 遺跡は、1.5キロ四方の範囲に広がっているとみられ、これまでに東西文明の交流を思わせる美しい仏像や王の姿を打ち出した金貨・銀貨などが次々に見つかったほか、仏塔のある大規模な寺院の跡も確認されました。
 また、同じアフガニスタンにあり世界遺産に登録されたバーミヤンではほとんどが破壊されてしまった色鮮やかな壁画も、良好な保存状態のまま発見されました。
 アフガニスタンの歴史に詳しい「文化遺産国際協力コンソーシアム」の前田耕作副会長によりますと、周辺にある工房など当時の生活の跡(=生活址)の調査が進めば、人々がどのように暮らしていたのか、その様子を具体的に知る資料が得られる可能性もあり、極めて貴重だといいます。
(略)

 恵美嘉樹は前から書いていますが、世界遺産登録ラッシュが文化や遺産を守ることよりも観光、経済面の利益を求めているのがありありで、もう平泉を最後に登録申請しなくていいと思っています。

 とは言っても、世界遺産を目指せば「予算」がついて、こうした学術的なベースの取り組みが一般にむけて行われることはいいなあと思います。
 「(縄文人)その意識は現代に受け継がれている」までは言い過ぎかなと思いますがね。

 ちなみに、ストーンサークル(環状列石)はお墓です。発掘で判明しています。UFOや宇宙人とは関係ありません、残念なことですが。

環状列石から古代の祭事を考察 世界遺産登録推進フォーラム|さきがけonTheWeb
ソースURL: http://www.sakigake.jp/p/akita/topics.jsp?kc=20121209f

 「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」の世界遺産登録推進に向けたフォーラム「ストーンサークルとマツリ」が8日、県第2庁舎で開かれた。県教育委員会などの主催。市民ら約100人が参加、遺跡群のストーンサークル(環状列石)とその出土品から、当時の祭事への理解を深めた。

 遺跡群は、本県の大湯環状列石鹿角市)と伊勢堂岱遺跡(北秋田市)を含む15遺跡で構成。鹿角市北秋田市、北海道森町、青森市の各教委担当者が、それぞれの遺跡の環状列石について事例報告した。

 鹿角市教委の藤井安正さんは、大湯環状列石を解説。同遺跡を形成する二つ(野中堂、万座)の環状列石は規則的に配置されており、周辺から赤色顔料を塗った土器や、キノコを模した土製品が出土している点を挙げ「縄文の人々は、祭事を通じて子孫繁栄や自然への感謝を祈っていたと考えられる。その意識は現代に受け継がれている」と述べた。
(2012/12/09 12:29 更新)

 日本最古の都城「藤原宮」跡がある橿原市が、猛烈アピール中。
 絵的には面白いけど、やっぱりこれが「世界遺産」を狙う人たちのノリなんだよなぁとため息も。

YOMIURI ONLINE(読売新聞)
ソースURL: http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20121206-OYT8T01444.htm

 橿原市議会の12月定例会が6日開会し、古代衣装を身にまとった議員や森下豊市長ら幹部職員約60人が出席して議事を行った。「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の世界遺産登録をアピールするのが狙い。
(略)
(2012年12月7日 読売新聞)

弥生時代

  • 鹿児島の弥生遺跡

大崎・永吉天神段遺跡に弥生中期の集落跡 8日に説明会 | 鹿児島のニュース | 373news.com
ソースURL: http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=44944

(2012 12/07 09:30)
 大崎町の永吉天神段遺跡で弥生時代中期中ごろ(約2100年前)の集落跡が見つかり、磨製石鏃(せきぞく)を製作した共同作業場とみられる大型の円形住居跡など竪穴住居跡20軒が出土した。県立埋蔵文化財センターは「県内での同時代の集落跡発見は珍しい。集落全体の様子も分かり貴重」としている。
 同遺跡は、持留川と支流に挟まれたシラス台地上にある。出土した土器から時代を特定した。
 大型の円形住居跡は直径6、7メートルで4軒。面積は30平方メートルを超え、8、9本の柱穴がある。作りかけの磨製石鏃や砥石(といし)が見つかった。近くには方形住居跡2、3軒ずつが確認され、セットになっていたと考えられる。
(略)

古墳時代

  • 古墳を造る労働者の宿舎跡かもしれない住居跡が大阪で見つかる

MSN産経ニュース
ソースURL: http://sankei.jp.msn.com/region/news/121201/osk12120102150004-n1.htm
2012.12.1 02:15
 河南町中の芹生谷(せるたに)遺跡で、古墳時代後期(6世紀後半)の大型竪穴住居跡が府教委の調査で見つかった。近くには、当時の首長の墓とされる国史跡の金山古墳(双円墳、全長80メートル)があり、古墳造営労働者の臨時宿舎の可能性もあるという。(略)


奈良時代

  • 少年が東大寺の大仏の工事に参加か?

まあ、参加していてもおかしくはないです。少年といっても17〜20歳なら、一番の働き手ですよね。

奈良新聞WEB | 考古学 | 少年も大仏造立参加? - 土木工事従事の記録/東大寺旧境内
ソースURL: http://www.nara-np.co.jp/20121206091605.html

2012年12月6日奈良新聞

 奈良市雑司町の東大寺旧境内で、少丁(しょうてい)と呼ばれる17歳から20歳の少年が土木工事に従事したことを示す奈良時代の木簡が見つかった。大仏造立に関わる可能性が高く、仏縁で集まった人々が支えた大事業の一端を示す資料となりそうだ。
 調査した市埋蔵文化財調査センターによると、木簡は両端が欠けており、長さ約17センチ。「方少丁合肆拾人之中」と書かれた下に「土起八□」(□は読めない文字)「土運十九」などの文字があった。
40人の少丁を土起こしと土運びに割り振った記録とみられる。少丁は律令制の年齢区分で、21歳以上は正丁と呼ばれた。
(略)

朝日新聞デジタル
ソースURL: http://digital.asahi.com/area/shimane/articles/OSK201211290114.html

 【藤田絢子隠岐国分寺(隠岐の島町池田)境内で出土し塀跡とみられていた柱穴が、その後の調査で見つかった柱穴の配置から金堂跡の可能性があると、町教育委員会が(11月)29日、発表した。
 国分寺は、聖武天皇が741年に出した命令で全国に建てられた官営寺院。明治期には廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で本堂などが壊され、1950年に再建されたが2007年2月の火災で焼失した。町教委は09年9月から本堂の再建予定地で調査を始め、今年2月、境内北側の東西24メートル間で柱穴7カ所を見つけたと発表した。
 柱穴は中心施設を囲む塀跡とみられたが、その後の調査で、東側にさらに1カ所の柱穴、東西の端からそれぞれ南側に向かって各2カ所の柱穴を発見した。穴の配置は長方形が推測され、柱列の内側は土が高くなっていることから、基壇を伴う建物跡とみられる。町教委は「古代の隠岐では最大で、金堂の可能性がある」としている。(略)

愛媛新聞ONLINE
ソースURL: http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20121207/news20121207913.html
 愛媛県四国中央市教育委員会は6日、同市金生町下分の遺跡「宝蔵寺跡」から、7〜8世紀の古代役所・官衙(かんが)に伴うとみられる倉庫の柱穴が見つかったと発表した。古代の宇摩地方には「宇摩郡(こおり)」が置かれ、官衙があったと考えられているが、発掘で関連施設が確認されたのは初めて。

【戦国時代】

  • もう一人の天下人DVD化

実は信長より前に「天下人」と言われた人物がいます。戦国末は天下とは近畿地方の支配者という意味だったからなのですが、それが三好長慶(ながよし)です。

四国の武将ですが、時間距離的には、尾張から上洛するのに比べて、海をささっとわたるだけなので、地の利があります。
このDVD、ぜひネットでも公開してほしいですね。

戦国 三好一族―天下に号令した戦国大名 (洋泉社MC新書)

戦国 三好一族―天下に号令した戦国大名 (洋泉社MC新書)

↑こういう本もあるなど、少なくとも地元の徳島では有名だと思っていましたが、この記事によると、地元の知名度もいまいちなようですね。はい、大河ドラマ誘致決定w

三好長慶の足跡紹介 県立総合大学校、DVDを製作 - 徳島新聞
ソースURL: http://www.topics.or.jp/localNews/news/2012/12/2012_135477195153.html

 徳島県にゆかりのある戦国武将・三好長慶(ながよし)(1522〜64年)の足跡を紹介するDVD「戦国天下人三好長慶」を県立総合大学校が製作した。織田信長以前に京都を中心とする畿内を支配しながら、クローズアップされることが少ない偉人を広く知ってもらうのが狙い。9日に完成試写会がある。

 三好長慶は1549年に上洛して幕府の実権を握り、9カ国を支配。天下人とも称されるが、教科書などには記述がほとんどなく、県民にもあまり知られていない。そこで、大学校は過去に長慶に関する番組を製作している日本中央テレビ(吉野川市)や長慶の顕彰に取り組む三好長慶会と協力し、9月から製作を始めた。

 映像は約30分。近年の研究結果を基に、長慶が一族とともに勢力を拡大する過程を解説。枯れ山水の復元などが進められている藍住町国史跡・勝瑞城館跡や、11月に三好市であった三好長慶武者行列まつりの映像なども盛り込んでいる。

 DVDは2013年1月ごろから大学校で貸し出しできるようにするほか、インターネットでの公開も予定している。

 小田城跡・本丸南側の区画で虎口、土塁跡を発見:茨城新聞ニュース
 ソースURL: http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13547932397956

【写真説明】小田城跡の本年度発掘調査で見つかった虎口跡と土塁跡=つくば市小田

 つくば市教委は6日、同市小田の国指定史跡「小田城跡」の本年度発掘調査で、本丸南側の区画で虎口(出入り口)跡と土塁跡を発見したほか、史跡の南東端でも堀で区切られた新たな区画を発見した、と発表した。市教委文化財室は「小田城の歴史を知る上で重要な発見」としており、8日に市民対象の現地説明会を開く。

 虎口跡(幅約2・8メートル)と土塁跡(基底幅約7メートル)は、本丸から堀を挟んですぐ南側の区画に位置する。区画内で池跡も確認されたことから、上級家臣の屋敷があった場所の虎口跡の可能性が高い。

 虎口の西側は3方向からの道が交差する場所で、市教委は「城の南側では防御上、最も重要な場所の一つ。家臣団の在り方を考えさせる重要な発見」としている。

 さらに、史跡の南東端では新たに2カ所の区画を見つけた。敵の進入を防ぐため堀底に障害物を設けた「障子堀」も見つかった。市教委は「史跡南端の堀まで障子堀だったことは、戦国時代の小田城の緊迫した様子が分かる」としている。

(略)


【江戸時代】

  • 奈良時代のもの?と思ったら江戸時代だったでござる

 解体修理中の薬師寺奈良市)の東塔におさめられていた仏舎利を取り出して調べたところ、あらら、奈良時代ではなく、江戸時代のものでしたとのこと。お寺が7日に発表しました。
 なかなかきれいな石、あっ失礼仏舎利(ほとけさまの骨)ですね。
 ずばり「石」と書いている新聞もありましたね笑

約110年ぶりの解体修理が進む薬師寺東塔(奈良市)で、心柱の頂部に納められていた仏舎利容器が取り出され、同寺が7日、報道陣に公開した。

 容器はハスのつぼみをかたどった木製で、高さ約10センチ。中央の3段の棚に赤い玉など入れ、水晶製の板をはめて外から見える構造。

 容器は昭和の修理で確認されていたが、今回、奈良国立博物館の内藤栄学芸部長補佐が初めて鑑定し、江戸時代のものとみられることが分かった。
共同通信

  • 鎧と衣裳を新調すると100万円

 倶利伽羅峠の戦いのあった富山県小矢部市の埴生護国八幡宮が、源義仲ゆかりの神事で使う鎧と衣装を新調しました。
 これまで使ってきたものは、江戸時代中期に作られたもので、これ自体がもはや文化財ですね。
 総額100万円かかったそうです。
富山のニュース 【12月8日01時26 分更新】
北國・富山新聞ホームページ - 富山のニュース
ソースURL: http://www.hokkoku.co.jp/subpage/T20121208201.htm

 忠臣蔵イベントの一覧ガイド記事です。いよいよNHKの時代劇「薄桜記」もクライマックスの討ち入りが迫っています。最後が想像できるだけに、もうウルウルしています。

両国などで「忠臣蔵」イベント−「討ち入り」から310年目を前に - すみだ経済新聞
ソースURL: http://sumida.keizai.biz/headline/215/
(2012年12月06日)

 1702年12月14日(※旧暦)に起きた、赤穂四十七士による旧本所松坂町(現・墨田区両国3)の吉良上野介・屋敷への討ち入り事件から310年目を前に、両国を中心にさまざまな「忠臣蔵」イベントが開かれる。

 「吉良邸跡」として残る「本所松坂町公園」では12月8日・9日の9時〜17時、出身地である吉良町(現・愛知県西尾市)による上野介とその家臣たちの供養「吉良祭」を開催。

 墨田区観光協会(TEL 03-5608-6951)は8日・9日・14日、「忠臣蔵ゆかりの両国を歩く」ツアーを主催。

 江戸東京博物館横網1)では11日〜来年1月27日、企画展「浮世絵の中の忠臣蔵展−江戸っ子が憧れたヒーロー」を常設展示室で開催。

 東京スカイツリータウンソラマチ5階「産業観光プラザ すみだ まち処」では8日〜18日、「忠臣蔵ゆかりの自治体展」を開催。

水・塩水で被災した資料の殺菌燻蒸の注意点.pdf

  • 磯田道史さん発掘の「無私の人」が地元でも再度注目

河北新報
ソースURL: http://www.kahoku.co.jp/news/2012/12/20121205t15004.htm

 宮城県大和町吉岡地区に伝わる江戸時代の実話「国恩記」を見直す動きが広がっている。国恩記を土台にした小説が出版されたことをきっかけに、町関係者らが「広く伝えて、町の誇りにしたい」と意気込んでいる。
 国恩記を小説化したのは、映画「武士の家計簿」の原作者で静岡文化芸術大(浜松市)の磯田道史准教授。月刊誌に連載し、10月発刊の「無私の日本人」(文芸春秋)に納められている。
 町教委は、無私の日本人を町内9小中校の図書室に1冊ずつ配置し、町民向け図書室があるまほろばホールにも5冊置いた。
(略)
2012年12月05日水曜日

無私の日本人

無私の日本人

【歴史旅】

http://www.jiji.com/jc/v4?id=otb0001&t=v

  • 日経新聞の旅コーナーは、瀬戸内海の塩飽(しわく)諸島です。担当は編集委員の竹内義治さん

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO49165380U2A201C1EL1P01/

 瀬戸内海の本州と四国が最も接近した海峡に浮かぶのが、大小28の島々からなる塩飽(しわく)諸島だ。潮流が早く複雑で、潮がわくように見えることからこの名で呼ばれるようになった、との説がある。荒波に育まれた高度な操船・造船技術が古くから知られた、塩飽の船乗りや大工たちの故郷を歩いた。
(略)

 塩飽諸島は戦国期には塩飽水軍、江戸期は海運業の拠点として栄えた。江戸幕府の御用船方も務め、咸臨(かんりん)丸が太平洋を横断した際に乗り組んだ水夫の7割を塩飽出身者が占めた。塩飽の大工は造船技術をベースに巧みな技を発揮し、「塩飽大工」と呼ばれて各地で宮大工などとして活躍したという。

(略)
 近世の塩飽を語る上で欠かせないのが、他に例のない自治制度「人名(にんみょう)制」だ。豊臣秀吉が天下統一の戦での塩飽水軍の働きを評価し、650人の船乗り(人名)に島々の自治を許したことに始まり、徳川幕府もこの制度を継承した。人名の代表として政務を担ったのが「年寄」。当初は4家の世襲だったが、18世紀末から3人を選挙で選ぶよう改められた。
 島の中央に、年寄が交代で勤務した塩飽勤番所が国史跡として保存されている。建築は1798年(寛政10年)。現在は人名制に関する秀吉や徳川家康の朱印状(複製)をはじめ、咸臨丸乗組員の遺品など島の歴史を物語る多くの史料を展示している。「国史跡になった1970年(昭和45年)まで、市役所支所として現役だったんですよ」。史跡塩飽勤番所顕彰保存会長の吉田智彦さんが教えてくれた。

 年寄の墓が独特と聞き、訪ねた。3カ所に、年寄を務めた3家の墓が並び立っている。位牌(いはい)を模した形で、巨大。高さ3メートルを超すものもある。
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日本経済新聞夕刊2012年12月5日付]

【韓国VS中国】
全方位外交的に、まわりの国に文化的ケンカをふっかけているように見える、韓国と中国の両国ですが、当然、両国は常にガチンコですね。

ユネスコに登載された韓国伝統民謡「アリラン」、中国に奪われるところだった? | Joongang Ilbo | 中央日報
ソースURL: http://japanese.joins.com/article/528/164528.html?servcode=400§code=400

2012年12月07日10時46分
アリランアリラン、アラリヨ〜」

5日午後9時20分(現地時間)、フランスパリにあるユネスコ国連教育科学文化機構)本部に重要無形文化財第57号京畿(キョンギ)民謡保有者であるイ・チュンヒ名唱が歌う「アリラン」が鳴り響いた。この日開かれたユネスコ第7回無形遺産委員会が韓国の代表伝統民謡「アリラン」のユネスコ人類無形遺産登載を発表した後に続いた短い祝賀公演だ。これで韓国は宗廟(チョンミョ)の祭礼・祭礼音楽、パンソリ、江陵(カンヌン)端午祭などをはじめとして計15件に達する人類無形遺産を保有することになった。

アリランの人類無形遺産登載は特別な意味を持つ。アリランが単に韓国の一部地域に伝えられる民謡ではなく、北朝鮮はもちろん中国の朝鮮族など外国に居住する同胞まで共有する民族全体の文化遺産であるためだ。実際、中国は昨年10月、朝鮮族の代表的民謡であるアリランを国家級無形遺産に選定するなど、自国の文化として吸収しようとする努力を続けてきた。公式的な動きはないが北朝鮮が韓国のアリラン単独登載に対して異議を提起する可能性もある。
(略)

朝鮮日報の記事ですので、思い入れたっぷりの長い記事ですので、短い日本での報道は下です。
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民謡アリランユネスコ無形文化遺産に 韓国政府が中国に対抗 / 西日本新聞
ソースURL: http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/337647

【ソウル神屋由紀子】韓国文化財庁は6日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形遺産委員会で、韓国政府が提案した民謡「アリラン」の無形文化遺産登録が決定したと発表した。アリラン朝鮮半島の民謡だが、東北部に多数の朝鮮族を抱える中国が自国の無形文化財に指定したため、韓国政府が対抗措置で登録を申請していた。
 韓国人にとってアリランは、国際スポーツ大会で自国チームが勝利を収めたときに応援団が歌うなど精神的支柱ともいえる歌。昨年5月、中国の文化財指定が判明し、韓国で反発が出ていた。
中国と古代史論争も抱える韓国では、今回の登録が決定しても「中国が自分たちの文化遺産と主張し続けかねない」との警戒感がある。韓国政府は来年から5年間で336億2千万ウォン(約25億6千万円)の予算を組み、資料収集や教育機関設置などアリランの伝承、普及に取り組む方針。
=2012/12/06 西日本新聞=<<

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