「最古のひらがな」にあらず!?
京都市埋蔵文化財研究所が11月28日に、京都市中京区の右大臣藤原良相(よしみ、813〜867年)の邸宅跡(仏教大学二条キャンパス建設予定地)で、「日本最古級のひらがな」が発掘されたと発表したのは、記憶に新しいところです。
関連記事
「本当に最古のひらがなでOK?」という疑問については、恵美は以下のように触れました。
ひらがなの基は漢字です。
ひらがなができるまでに
万葉仮名 漢字を当て字にしたもの。怒羅慧門(ドラえもん)とかのDQNネームみたいなものですね。、光宙(ピカチュー)は違いますね、はい。
↓
草仮名(そうがな) 万葉仮名を、さささっと書いて崩した(草体化)もの。ほとんどひらがなです。現に、江戸時代はこれもひらがなと呼んでいました。
土佐日記もこの範疇。
小野道風が書いたとされる国宝の「秋萩帖」(東京国立博物館蔵)が有名です。
↓
ひらがな(平仮名) 草仮名をさらに進化(いや、むしろ退化かな)したもの。10世紀くらいに成立したと言われています。
今回の発見は、草仮名ではなく、このカテゴリーに入るものが9世紀後半にまでさかのぼったということです。
ただ、11世紀(1079年)になっても、万葉仮名が使われていました(仏典注釈書の「金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)」ように、一方通行の進化ではなかったのは要注意です。
このことと同様の内容の指摘が、週刊新潮(7日発売)では、
「当時の人は。女手(おんなで)と呼び、ひら仮名という概念自体がなかったですし、万葉仮名の崩し字。草仮名(そうがな)との境界が暖昧ですから、これを『ひら仮名』と断定するのは慎重であるべき」
「9世紀の仮名文字資料は今まで地方でしか出ていなかった。それが当時の文化の中心の、しかも貴族の邸宅という特別な場所で見つかった、ということに意味があると思います」
と、言語史が専門の杉本つとむ・早稲田大学名誉教授がコメントを寄せています。
まったく、恵美もそういうことだと思います。
下のボタンをクリックお願いします!励みになります。
にほんブログ村