歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

もう一つの中国古代文明

東京国立博物館で開催中、その後全国3か所巡回する、「中国 王朝の至宝」展の主催者である毎日新聞が、関連インタビューをネットに掲載しています。宣伝用だから全文掲載されているのですが、面白かったです。

恵美嘉樹は、神戸展に行く予定ですが、「中国文明の多様性(多元性)」をテーマにしているというのは、なかなか野心的ですね。きっと、中国本土ではできない取り組みなのかもしれません。

維新の会代表の石原氏が火を付けてくれたおかげで、悪化した日中関係。興行的には失敗なのかもしれませんけど、見る方としては空いているのはありがたいです。だからといって維新に感謝しませんけどね。

「中国 王朝の至宝」展
http://china-ocho.jp/
↓これ見たいです。なんなでしょう、不思議な生き物?神様?

写真はキャプチャー

特集:「中国 王朝の至宝」展で出土品展示 古代蜀の遺跡を訪ねて 金沙遺址博物館・王毅館長に聞く
毎日新聞 2012年11月23日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/news/20121123ddm010040003000c.html
 ◇四川に太陽の文明

 中国歴代王朝の栄華を伝える文化財から、中国文明の多元性に迫る特別展「中国 王朝の至宝」が、東京・上野の東京国立博物館で開かれている。四千年の歴史を追うこの展覧会の幕開けを飾るのは、四川平原に栄えた「古代蜀(しょく)」と、中原(黄河中流域)の「夏(か)・殷(いん)」。ほぼ同時期に異なる地域で花開いた、二つの王朝だ。古代蜀時代の発掘調査が今も続く四川省を訪ね、金沙遺址(きんさいし)博物館の王毅(おうき)館長に文明の特徴や、本展の見どころを聞いた。【手塚さや香】

 特別展「中国 王朝の至宝」には、四川省三星堆(さんせいたい)遺跡と金沙遺跡から出土した文化財16点が出品されています。二つの遺跡について教えてください。

 私は幸運にも、二つの遺跡の発掘に関わってきました。1986年の三星堆遺跡の発掘は、中国では殷墟(いんきょ)や兵馬俑(へいばよう)の発見に匹敵するもので、世界の考古学界からも注目を集めました。

 三星堆は四川省省都成都市の北約40キロにあります。この地で大量の青銅器や金製品、玉石など数千点が見つかったのです。まるで雷が落ちてきたような衝撃を受けました。目が飛び出た巨大な青銅の仮面や、たくさんの豪華な飾りのついた青銅の木(神樹)など、ほかでは見たことのないものばかりでした。検証の結果、中原で殷王朝が栄えたのと同時期の紀元前1500年ごろに、成都平野には古代蜀の王朝が存在し、高度な文化が繁栄したことが分かってきました。

 その後の2001年、団地開発を計画中だった成都市郊外で見つかったのが、この金沙遺跡です。私は三星堆にあった高度な文明をもつ王朝はどうなったのかがずっと気になっていたのですが、金沙遺跡の発見は、その答えを与えてくれるものでした。三星堆は洪水で滅びたとか、突然姿を消したとか、その結末は今も謎ですが、私は三星堆にあった王朝が金沙に移ったのだと確信しています。出土した陶磁器の形状などが共通していますし、三星堆から金沙へ持ち込まれたとみられる出土品もあります。

 金沙遺跡に存在したのは、どんな王朝だったのでしょう。

 金沙遺跡はこれまでに、約5平方キロが発掘されています。私は実は以前から、ここには何かあるのではないかと思っていたのですが、99年に大規模な建物の跡が見つかったのです。後の調査で、3000?2500年前の宮殿の跡と分かりました。01年の調査では金製品など祭祀(さいし)の道具が見つかり、古代蜀の王がいた地域である可能性が高まりました。この王朝の最大の特徴は、神々と先祖を祭り、太陽と樹木を崇拝していたことでしょう。

 すでに発掘が進んでいる地域をみると、北側に宮殿があり、川を挟んで南側が祭祀の場だったと思われます。川沿いで祭祀を行って、そのまま道具を埋めたとみられ、その地域から象牙や玉石などが多数見つかりました。中には一つの穴から345点の文化財が見つかった例もあります。小さな穴からそれだけたくさんのものが出土するのは、とても不思議です。

 現在、祭祀地域の一部は建物で覆って公開していますが、そのさらに下には、金属のようなものが存在することも分かっています。金沙遺跡について分かっていることは、本当に一部なのです。私の推測では、まだ全体の10分の1程度しか発掘されていない。日本の保存修復の専門家の協力も仰ぎつつ、出土した文化財の保存に万全の体制をつくってから、次の発掘を進めたいと思っています。

 ◇日本と交流の可能性

 金沙遺跡から金製品が出土しているのも興味深いですね。

 同時期の中国他地域では、金製品は出土していません。この辺りの川の底から当時は金が出土していたという説もあり、地名の「金沙」も「金の砂」に由来するとの推論もあります。金はさびないし、硬く丈夫なので、中国では「永遠」の象徴とされています。当時の人々も同じように、神秘的なものを金に感じていたのでしょう。

 例えば、金沙遺址博物館がシンボルとしている「金製太陽霊鳥文円板」(特別展では複製品を展示)は、金の板を円形に加工し、中心に太陽を、その周辺に4羽の霊鳥の模様を彫って浮かび上がらせたものです。直径12センチほどで極めて薄いので、青銅器などの儀礼具に貼り、シンボルとして使用したのかもしれません。恐らくは神である太陽が、霊鳥によって地球の周りを運ばれているというイメージでしょう。太陽と霊鳥というモチーフが描かれた文化財三星堆と金沙、双方の遺跡から出土しています。

 今回の日本での展示には何を期待していますか。

 成都平野はかつて文化不毛の地と考えられていましたが、三星堆、金沙の一連の発掘により、黄河揚子江の流域以外にも大きな文化の中心があったことが分かりました。四川が中華文明発祥の重要な地の一つだということです。

 四川省にある峨眉(がび)山の樹木が揚子江から海へ流れて日本に上陸したという伝説も残っており、大昔から四川と日本に交流があったということかもしれません。日中関係が難しい時期ですが、両国の文明を理解し、歴史を認識することで、現在の交流に役立ててもらいたい。そのきっかけになればいいですね。

(略)

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