手だけ奈良時代の仏像の謎、蛇伝説のお寺で
国史跡に指定答申されたばかりの和歌山の道成寺で、さっそく奇妙なニュース。
鎌倉時代に仏像をつくりました。それはよくあります。ところが、その両手だけがわざわざ奈良時代の仏像のものを「接合」したものだったのです。
どういう意味があるのでしょうか。
手だけ、残っていたので、再利用したのか。
それとも、もっと深い意味があったのか。
宮崎日日より(写真キャプチャーも)
http://www.the-miyanichi.co.jp/news/Culture/2012112101001135.php
安珍・清姫で知られる道成寺(和歌山県日高川町)の釈迦如来坐像を県文化財センターが年輪年代測定法で調査したところ、腕など全体は鎌倉時代で、両手部分は奈良時代後期(8世紀)に制作された可能性のあることが、21日、分かった。
(略)奈良文化財研究所の光谷拓実客員研究員が、仏像を年輪年代測定法で調べたところ、腕の部材の伐採年代は鎌倉時代の1236〜46年以降と判明。また、左手首は奈良時代の721年以降、右手首は722年以降に伐採の木材と分かった。
詳細なニュースは地元紀伊新報
ちなみに、安珍・清姫伝説とは以下の内容です。
来年1月号の「ひととき」のアキツシマの夢が、道成寺です。(我々執筆ではありません)
安珍・清姫伝説(あんちんきよひめでんせつ)は紀州に伝わる伝説で、思いを寄せた僧・安珍に裏切られた少女・清姫が激怒のあまり蛇身に変化し、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺すことを内容としている。
説話としても古く平安時代の『大日本国法華験記』(『法華験記』)、『今昔物語集』に現れる。さらに古くは『古事記』の本牟智和気王説話に出雲の肥河における蛇女との婚礼の話がある。
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