朝倉氏の一乗谷遺跡で武田信玄に続く2番目の「金」
=一乗谷遺跡(福井県HPより)
福井県埋蔵文化財調査センターは13日、戦国大名の朝倉氏の本拠地、一乗谷遺跡から、金鉱石を加工(製錬)した痕跡が見つかったと発表しました。戦国時代の金は、加工しやすい砂金(沙金)が主だったと言われていました。より難しいけれでも、膨大な金を取ることが出来る金鉱石からの製錬は、戦国時代の城下町では武田信玄の甲斐国でしか見つかっていませんでした。
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越前に割拠する朝倉氏といえば、応仁の乱の影の首謀者だったり、室町将軍を亡命させたりとした近畿(天下)の一大勢力。織田信長と徹底的にやりあって、滅ぼされたことは有名です。
各紙の報道によると、金の粒子は、過去に発掘された坩堝(るつぼ)を再調査したところ、3点の坩堝から、0・1〜0・2?ほどの小さな金のつぶが見つかったそうです。調査に協力したのは武田金山のおひざ元の山梨県立博物館だとか。
戦国時代(1533年)に、朝鮮半島から金の新しい製錬方法である「灰吹法(はいふきほう)」が導入されました。
金や銀と鉛の合金から鉛を酸化させて取り除き、金などの貴金属だけを取り出すという技です。
- 灰吹き法の導入について、「山梨県身延町立甲斐黄金村HP」
武田と朝倉だけが導入したということはないはずで、こうして各地で金と銀の生産が爆発的に増えていき、それを輸出することで、海外からは鉄砲が輸入されていき、結果、戦国時代の終了を(大量かつ強力な火器使用により戦いに決着がつくようになる)促進したことが浮かび上がります。
そして、豊臣秀吉は(武による)統一・平和の象徴として、有り余った金や銀で、平安時代以来とだえていた国産の通貨をつくりはじめるのです。
参照リンク
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- 沙金(砂金)について、「奈良時代の天皇の筆は腕前は?」
福井新聞
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/37991.html(略)
全国の戦国城下町の遺跡で、金鉱石を利用し、金生産を行っていたことが科学的に判明したのは、甲斐武田氏(山梨県)に次いで2例目。同遺跡では、1967年以来の発掘調査で、工房など金属加工にかかわる遺構16地点と、加工などに使われた遺物34点が出土している。
=金のつぶ(山梨県歴史博物館)
=るつぼ
金の粒子が確認されたのは、金属の溶解や加工に用いられたとされる「坩堝(るつぼ)」と呼ばれる16世紀中ごろの土器3点。1979年、84年、2007年に町屋の金属加工の工房跡や、5代義景の妻の館跡近くにある工房跡などから出土した。(略)
さらに砂金を製錬、加工した場合は不純物の付着はほとんどないが、三つの坩堝には金鉱石を製錬した際に出る銀や銅、亜鉛、ヒ素などの不純物が付着していた。
(略)
同センターは「灰吹法が用いられたかどうかは不明だが、少なくとも安定的に金を取り出すのは簡単な技術ではなかっただろう。一乗谷は高度な製錬技術があったと考えられる」としている。
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