歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

きょうの歴史ニュースの特集は「縄文時代」

 縄文好きのみなさん、こんにちは。恵美嘉樹です。
 私も時々、縄文時代に帰りたくなります。えぇ、アラフォーですし。
 なんか、縄文時代って楽そうですよね。食っちゃ寝、食っちゃ寝で。雨がふったらお休みで、、、ハワイの王様みたいな生活。。。。というゆとり世代な勘違い=縄文パラダイス銀河説は根強いです。
 でも、天気や環境に大きく影響されていたのが縄文時代なので、繁栄も衰退も天気次第だったわけです。

列島の考古学 縄文時代

列島の考古学 縄文時代

↑縄文のベスト入門書
結論を言うと、 クーラー病で体温調整機能の低下した人は縄文人にならないほうがいいです。甘くないですよ、気候変動。

縄文時代はずっと温暖だった、なんてうそっぱちです。
げんに、三内丸山「文化」は、寒冷化で「滅亡」しました。


 下の記事では「縄文中期、後期、晩期と進むにつれて食文化が豊かになった。」とあります。うーん、ゆとりですなぁ。文化も気温も右肩あがりの共産党唯物史観はもはや縄文時代研究ではまったく成り立ちませんが、まあ左よりの朝日新聞だからそこらへんは大目に見てもいいのではないでしょうかね笑

京築の縄文文化探る 築上で特別展-朝日新聞マイタウン福岡・北九州
ソースURL: http://mytown.asahi.com/fukuoka/news.php?k_id=41000001211080004

 京築地域で出土した縄文時代の土器や土偶を集めた特別展「日本人の原風景 縄文」が、築上町の船迫窯跡(ふなさこかまあと)公園体験学習館で12月2日まで開かれている。

(略)

 縄文中期、後期、晩期と進むにつれて食文化が豊かになった。土器も調理用、食事用、貯蔵用など使い道に応じて多様化。大きさや形、模様がバラエティーに富んでいる。

 ゆとりが生まれると、まじないや祈りといった精神的な営みが器のデザインに色濃く反映されてくる。築上町の石町遺跡、松丸D遺跡など縄文後期の作品は蛇のような文様が施され、信仰心を垣間見ることができるという。

 同じく後期で、豊前市の中村石丸遺跡の異形高坏(たか・つき)形土器や異形鉢形土器。実用性とはかけ離れた装飾性の高い造形が目を引く。
(略)

  • 大家族おばあちゃん、その名も縄文杉

 縄文と言えば、縄文杉
 屋久島のような熱帯雨林的なところだから、これだけ大きく育った、というわけではないんですよね。必ずしも。
 本州にもこの手の杉は五万とありました。しかし、江戸時代の人口爆発によって、奥山まで人の手が入るようになり、はい、さようなら〜です。
 世界遺産の指定でかえって人口が増えている屋久島の杉も、同じ運命をたどらないように、みんな頑張って子孫を残そうとしているのですね。

樹齢7200年縄文杉の分身公開 / 西日本新聞
ソースURL: http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/332837

2012年11月7日 00:08
 世界自然遺産屋久島(鹿児島県)のシンボル「縄文杉」の枝を挿し木して育てた苗の展示が6日、屋久島町宮之浦の環境学習施設「屋久島環境文化村センター」で始まった。樹齢7200年ともいわれる老木のため、根を出す力が弱く、挿し木した160本中、育ったのは十数本。センターは「太古から続く生命の神秘を感じてほしい」と来館を呼び掛けている。苗の愛称公募も始めた。
 苗は高さ80センチ、周囲3センチ。2005年12月に積雪で落下した枝を長さ15〜20センチに切って土に挿し、屋久島森林管理署や町職員が温室で育てた。(略)
 縄文杉は標高1300メートルの山中にある屋久杉で、高さ25メートル、幹回り16メートル。11年の見学者は約8万3千人に達し、樹木や周辺の環境保護と観光の両立が課題になっている。
 愛称募集は苗木に親しんでもらうのが狙い。12月24日まで受け付け、来年2月7日に発表する。詳細はセンターを運営する「屋久島環境文化財団」のホームページに掲載している。

 帝釈峡遺跡(たいしゃくきょう)とは、なんとも大げさな名前ですね。ただ、ここはとても重要な遺跡です。
 広島県の山の中にある石灰岩の洞窟・岩陰遺跡です。
 岩陰の遺跡といえば、当ブログの愛読者おなじみ(?)の愛媛県の上黒岩岩陰遺跡です。

 洞窟や岩陰というのは、石灰質で骨などが解けにくいので、遺跡としてはとてもいい場所なのです。まだ、ここでは人骨が見つかっていないようですが、ちゃんと掘ればでるんじゃないのかなぁ。

 帝釈峡遺跡は、旧石器時代から縄文早期までの列島最古級の日本人が住んでいた場所です。家立てるよりも、洞窟や岩陰で暮らしていたんです。ロビンソン・クルーソーみたい。

帝釈峡遺跡群の研究成果 神石高原 発掘調査50周年記念シンポ 広島 - MSN産経
ニュースソースURL: http://sankei.jp.msn.com/region/news/121113/hrs12111302010001-n1.htm

2012.11.13 02:01
 県北部の神石高原町庄原市東城町にまたがる帝釈峡遺跡群の発掘調査50周年記念シンポジウムが、神石高原町の総合交流センターじんせきの里で開かれた。(略)
 竹広文明・広島大准教授は縄文から旧石器時代に至る地層から動物(哺乳類、鳥類、魚介類など)の骨や石器などが多数出土し、狩猟生活が継続して行われてきたと説明。さらに、石器の普及から「旧石器人(骨)」の発見に期待をつないだ。
 また、中橋孝博・九州大教授は同遺跡群で見つかった縄文人の特徴について説明。熊本大埋蔵文化財調査センターの石丸恵利子さんは動物考古学の立場から当時の暮らしと自然環境について話した。
(略)
 同遺跡群は約20キロ四方の範囲に約50カ所の洞窟・岩陰遺跡があり、これまでに13カ所を調査。調査は昭和37年から毎年実施され、昨年で50年を迎えた。

 毎日新聞のローカル記事のようですが、いったいなんのための記事なのでしょう。縄文がいつから、くらい謎です。
 わかったことは、縄文研究者は、回転すしにいっても、あさり汁は飲まないってことですね!

記者有情:いい貝塚 /福岡− 毎日jp(毎日新聞)
ソースURL: http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20121109ddlk40070354000c.html
毎日新聞 2012年11月09日 地方版

 「調査後は当分、貝が食べられませんでした。まして潮干狩りなんて、とてもとても……」。縄文時代にできた新延(にのぶ)貝塚鞍手町)の断面を前に、鞍手町歴史民俗博物館学芸員、古後憲浩さんの口ぶりはどこか明るい。
 当時は遠賀川中流域まで海だった。縄文人が2500年かけて食べ、捨てた貝殻は、深い所で約1.8メートル。積もった“ごみ”の発掘は、地道な手作業の繰り返しだが「下の層ほど貝がきれいにつぶれていて、いいですよね」。弾むような口調には、うなずくほかない。
 炭鉱で知られる地域で、古後さんは「それ以前も豊かな歴史があると知って」と、企画展で古代の筑豊を紹介している。考古学に疎い私に「いい」の境地は遠いが、学芸員の「いい表情」は、それを身近にしてくれる。【小畑英介】

 きょうも永田町をのぞいて、日本は縄文的にも平和ですなぁ。。。
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