ならず者の経済はおさまらず
2008年12月15日の4年前のエントリーで「国民を奴隷化するならず者経済」という内容でこの本ならず者の経済学 世界を大恐慌にひきずり込んだのは誰かについての書評を書いたのですが、今見ると、どんどん状況は4年前に危惧した状況に近づいているようです。ただ、民主主義においては、「私たち」が選んだ結果なんですよね・・・。
資本主義にあっては、貧困とは限りなく、国家や社会などから奴隷化されていることに近い。そのため、民主主義国家の政治セクターは、格差の解消・軽減が大切なお仕事なはずなのですが、いつの間にか、グローバリズムの名の下に資本主義経済=民主主義政治が同一化してきたのがここ10年くらいのお話です。
そして、とうとうこんなことを「公約」する政治家が日本にも出てきました。
「地方を自立させる。国はその分、外交・安保に力を入れたら良い」〜橋下大阪市長のツイート
資産家でなくても、自分の家を持っている人にも相続税がかかる可能性があるということのようです。60歳をこえた年金生活者でも、90、100歳の親が死んだら、相続税を支払うために、何百万円かの「借金」を国に背負うことになる。国家の徴税能力は最強ですから逃れることはできません。
恵美は「軍靴の音がまた聞こえる」みたいな左寄りのあおり方は好きじゃないのですが、経済的な観点から
だんだん、日本も律令国家的になってきました。。。
とつぶやきたくなります。
以下、4年前のエントリーの再掲(一部)です。
この本『ならず者の経済学』(徳間書店、1890円)は経済本の範疇に入るが、歴史を学ぶものにとっても必読の書だ。
- 作者: ロレッタ・ナポレオーニ,田村源二
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2008/11/19
- メディア: 単行本
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歴史上の事件で限りなく残虐な非人道的なことが繰り返されてきたのは言うまでもないが、意外に人間はこうした残酷な話が好きなようだ。ただし大抵は「過去の話」だから許容できるともいえる。
ところが本書によって白日の下に明かされた奴隷たちは現代、今わたしたちと同じ時間に息をしている人たちの物語なのだ。
本書が優れている、かつ衝撃的であるのは、例えば共産党や朝日新聞が「貧困」や「格差社会」をイデオロギーの面からアピールするために探しあてた半ば作られた悲惨さではないことだ。
二年以上前、本書の調査を開始したとき、わたしは共産主義からグローバリゼーションへの移行がどのようにして邪悪な経済力を解き放ったかを示したいと思っていた。
ところが現実は逆で、民主主義を旗印としたグローバル化によって奴隷制が史上かつてないほどの繁栄をしていることが判明してしまったのだ。ショッキングにも現代という時代に、民主主義と奴隷制が、強力な”正の相関”と経済学者たちが呼ぶかたちで共存しているのだ。つまりこれらふたつは、互いに支え合って盛衰をともにする関係にあるということである。
民主主義と奴隷制はわたしたちの頭のなかではなかなか結びつかない。それは、わたしたちがいまだに、民主主義を実現すれば奴隷制の再発を防ぐことができるという間違った印象を抱き続けているからだ。
自由主義、民主主義は、共産主義や独裁主義に比べてはるかに優れたもので、後者から移行した場合は大なり小なりメリットのほうが多いと考えがちだ。これはあくまで我々が日本という勝者のサイドにいたからであり、大きな変化を強いられた側(ロシアなど)は<ならず者経済>によって牛耳られ、多くの国民が「奴隷」となったというのだ。
しかも、この奴隷は
今日の奴隷ひとりの平均価格は、民主主義が最低レベルにあったと思われる時代に栄えたローマ帝国の価格の一〇分の一以下である。ローマ人にとって奴隷は、高値がついてあたりまえの希少な価値ある商品だった。ところが今日の奴隷は、豊富に存在する使い捨て商品であり、”国際ビジネスの必要経費”のひとつでしかない。
と、過去よりも人間の価値が下がっているという信じがたい事態が起きているとする。
たしかに、「奴隷制」と訳することができる古代日本の「部民制」も現代的な奴隷とはだいぶ意味合いが違う。単に現代と古代の制度上の違いだけでなく、「人間」としての価値の差という視点で部民制を考える必要もありそうだ。
現代の奴隷制が悲惨極まりないのは、価値が低いからだけではない。
奴隷制はふつう、強国による貧国の搾取の結果と考えられているが、実はそうではないことが明らかになっている。現代の奴隷のほとんどは、同国人によって売られているのだ。
この本を読むと、「北朝鮮の人民は抑圧されているから、彼らのためにも民主主義を導入すべきだ」という産経新聞的な主張は、間違っていることが分かる。このまま仮に北朝鮮が民主化に進めば、人民の多くは今と同じように抑圧され、かつ誇りすら失う奴隷となるだろう。
<ならず者経済>に蹂躙されるくらいなら<ならず者国家>のままでいるという選択肢は、彼らにとっては比較するまでもないことなのかもしれない。
日本、アメリカ、韓国などが北朝鮮の心を開くのに民主化、自由主義が有効なツールとなると考えているとすれば、なかなか厳しい未来が待っていそうだ。
<ならず者経済>は現代だけの問題ではない。歴史上繰り返されてきた。
ところが、調査を進めて、データ収集、訪問取材、情報分析をつづけた結果、<ならず者経済>は現代に特有のものではなく、歴史に繰り返しあらわれるものであることがわかった
歴史研究で、経済的な側面は非常に弱い部分だ。それがまして公的な文書が残る表の経済ではなく、記録には直接残らない<ならず者経済>だった場合はなおさらないがしろにされてきただろう。
歴史が現代人にとって役に立つ学問として成り立つために、このならず者の経済という視点は重要になってくるだろう。
以上、再掲でした。