歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

戦国時代に犬のコスプレをした武将は忠犬となって国宝犬山城をゲット。アメリカでは動物コスプレした子が親戚に射殺

アメリカでハロウィーンで動物のコスプレをしていた8歳の女の子がスカンクと間違えて射殺されたそうだ。日本での子供の虐待、アメリカでの銃の事件をきくたびに、ホントに胸が苦しくなる。
正直、銃社会をよしとするアメリカ人の気持ち(実際はアメリカだけでなく、トルコなど中東でもそうなのだが)は日本人には分からない。だが、戦国時代までの日本人なら武士以外でも銃や刀を携帯することは普通だったから、戦国時代の庶民の気持ちは、意外に現代の我々には理解できないことがあるのかもしれない。

 動物コスプレといえば、犬山城主の成瀬正成さん(一五六七〜一六二五)です。
 犬山城だからなのか、たまたまなのか知りませんが、成瀬さんは若い頃から犬耳のかぶりものをした若武者として有名でした。
 成瀬さんは、18歳のときに秀吉と戦った小牧長久手の戦いで中隊長で大活躍したことで、徳川軍団最年少の武将に取り立てられました。家康と秀吉が仲直りしたときに、秀吉が「あのかわいい犬の格好した若武者を金銭トレードしないか?」と家康に頼みました。
 
 How much?

 秀吉のオファーはなんと5万石。当時の成瀬は2000石か4000石くらい。10倍増です。

 あまりに好条件なので、家康も「5万石だって、お前行きたい?」と聞くと、成瀬さんはきっぱり「いいえ、僕はずっと横浜DeNAでいいんです。家康監督のもとにずっといたいんです」と犬のコスプレだけに、尻尾をふりふり、忠犬ぶりを発揮したのです。
 
 このとき、FAで大坂秀吉軍へ移ったのが石川数正です。石川は岡崎城代を務める徳川の超大物4番バッター。で、かれは8万石(その後、信州・松本城で10万石)もらいました。それだけにその半分以上の5万石を高卒ルーキーみたいな成瀬に提示したのですから、かなり高く評価されていたんですね。

 で、しばらくたって徳川の天下になった1617年、忠犬成瀬(当時は尾張藩の家老)は犬山3万石の城主に抜擢されたのでした。
 で、石川さんはもちろん息子の代になって改易されています。はい。

=写真は市の観光HPより


 犬山城は、現存する最古の天守閣を持つ城で国宝です。別名、白帝城。市の観光HP(動画すごいですよ)
http://inuyama-castle.jp/
 ちなみにお城の持つ主は、市や国ではなく、財団法人の犬山白帝文庫です。
http://www.inuyamajohb.org/index01.html


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