歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

岡田官兵衛は本当に葵の御紋の姫と??

 黒田官兵衛ことV6岡田さんは不倫していたと言われているんですね。NHK大河決定ではじめて知りました。どうりで、今年は大河発表が遅いなあと思っていました。すみません、世情にうとくて。


如水居士画像(崇福寺蔵)(Wikipediaより)
 それはともかく、前回のエントリー「軍師官兵衛」
 黒田如水関ヶ原の合戦において、大活躍した息子を「さっさと終わらせおって、ばかもん。乱戦になれば天下を狙えたのに!」と怒ったという有名な逸話はウソです、という風に書いたら、「本当にウソなの?」(本当なんだかウソなんだかわからない質問の仕方ですね)と聞かれました。

 このエピソードのもとは、家臣が官兵衛と息子の長政の言動をまとめたとされる「黒田故郷物語」(リンクは早稲田所蔵の古文書)にあります。

 関ヶ原後、意気揚々と九州へ帰ってきた長政が如水(官兵衛)に言いました。
 長政「内府(家康)殿が私の手をガツっと取って御礼を言ってくれました」
 如水「シラー) ふーん。家康殿はどっちの手で握ったのじゃ?右か?左か?」
 長政「右手です(ニコニコ」
 如水「ほう? では、そのたの右手はその時なにをしていたんじゃ?」(なんで右手で家康を殺さなかったんじゃ!怒)

 というのが元ネタです。早稲田のみると、文政12年(1829年)写ですから、すでに3次資料くらいのレベルです。あんまり信憑性が高いものではないです。というか、ムリ。
 で、ここから派生して、大正時代に金子堅太郎が『黒田如水伝』という本の中で、長政「家康が三度も手をとってくれた」如水「なぜ空いた手で差さなかった」としたシーンが定着するのです。

 でもポイントは、如水の嫌味な言葉ではなく、家康がどうして、長政に御礼を言ったのか、にあります。
 前にも言ったとおり、戦場での武功そのものは東軍みな頑張っていますから、飛び抜けてはいません。
 それよりも、黒田如水親子が調略によって、南宮山の毛利の大軍(本来は主力)を(毛利一族の吉川を説得することで)足止めしたことに尽きます。
 
 
 今回の参考文献は

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