平泉の中心で掘について叫ぶ
平泉の中心、柳之御所遺跡の現地説明会で、2本分の掘が紹介されました。
柳之御所は、政庁「平泉の館」とされています。いわば平泉の都庁ビル。
柳之御所遺跡は、北上川に向かって突き出した台地の上に作られているのですが、ここをぐるりと掘がめぐっています。その掘が1重なのか、2重なのかが重要なのです。
というのも、平泉の館は2回作られていて、最初はまだ戦争色の強かった初代の藤原清衡のときなので、当然、2重の掘。
しかし、2回目の平泉の館は、もう平和になっていた3代目の秀衡の時代のものなので、そのときは2重にする必要はなくて、1重だったのでは、という意見があるのです。
この記事をみる限りは、内側のV字の掘が本命で、外側は装飾用のおまけだったのかな。もしかしたら外側の掘は、橋がかかるような正面だけで、裏側とかにはなかったのかなとか感じた次第です。
ちなみに、平泉の毛越寺の駐車場でうっているパンがうまいです。
http://mainichi.jp/feature/news/20120930ddlk03040009000c.html
柳之御所遺跡:堀跡2条など出土 第74次調査で現地説明会 平泉 /岩手
毎日新聞 2012年09月30日 地方版
平泉町の「柳之御所遺跡」で29日、県教育委員会が行っている発掘調査区域の現地説明会があった。遺跡西部にある外部との境界付近を調査した結果、堀跡2条、柱穴(橋脚)2個のほか土坑などが出土した。
今回は第74次で6月から始まり、約1500平方メートルを調査した。
堀跡は、中心施設を取り囲んでいたとみられ、内側と外側の二つが出土。内側の堀は深さ約4メートル、上部の幅は12?13メートルあった。断面がV字形になっているのが特徴で、斜面からは木材が入った状態の橋脚跡も確認された。
橋脚跡は93年に確認されていたが、今回詳細に調査し、柱径は16センチほどと判明した。同遺跡の東部で確認された橋脚は約20センチの柱径があることから、今回見つかった橋はメーンの橋としては小さく、どう使われたか調査が必要という。
説明会には、歴史愛好者ら約100人が参加、担当者の説明に聞き入った。
同遺跡は、奥州藤原氏の政庁「平泉の館」と考えられている。昨年の平泉世界遺産登録に漏れ、今後の追加登録を目指す遺跡の一つ。【和泉清充】
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