邪馬台国時代の「維新の会」構成メンバーは意外なメンツだった
橋下大阪市長が率いる「日本維新の会」が9月28日に正式に発足
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120928/stt12092822410019-n1.htm
して、はじめての週末。週明けにはたくさんの報道機関による支持率がでるのでしょう。支持急落なんて話もでていますが、どうなるのでしょう。
「維新」という言葉は、いわずもがな、幕末の維新がもととなっています。中国の古典『詩経』に「維(こ)れ新(あらた)なり」とあるのが「語源」です。
ところが、「維新」という言葉本来の意味は、一般的にイメージしている「革新」や「刷新」ではないのです。
「維」の字の第一義は、「つなぐ」。だから「維新」は「衣替え」というのが裏の意味。(これだけ温暖化が定着すると衣替えは11月1日でいいのでは。あしたみなさん何きてきます?)
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支配者層がすっかりかわる西洋の革命とは違い、武士が武士から政権を奪った「つながれた新政権」が明治政府だったのですから、絶妙な言葉が選ばれたものだなあと関心する次第です。
昔の知識人は、中国の古典から言葉の意味まで、深く知っていたので、実際に隠語として「維」を使ったのかもしれませんね。
平成の維新の会も、自民党から保守政党を「つなぐ」ための隠れみのの新政党という解釈もあるようです。
確かに、「自民党オワタ」な感じでメキメキ頭角を現してきた橋下市長ですが、最近は自民党もV字回復のようですし、どうやって折り合いつけるのでしょうか。
幕末でも、同じ維新側(倒幕)でも内部抗争でテロ起こしまくっています。歴史は繰り返すのでしょうか。維新だけに。
まあ、現代の政治について恵美嘉樹は、歴史・考古学界唯一の族議員、馳浩の当落のみにしか関心がないので(笑)、きょうの本題はこちらです。
邪馬台国という新政権ができたときの「維新」についてです。
邪馬台国はもちろん日本初の「首都」ですから画期的に新しい。そこに疑問はない!はずだけど・・・・・・。
例えば、こんな話があります。
大和の弥生時代では、唐子鍵遺跡など先進的な地域と漠然と言われておりますが、私は必ずしもそうではないと考えております。銅矛・銅鐸など伝統的な祭具を最後まで持ち続けている点からしても、筑紫も大和もあるいは濃尾の地域もむしろ保守的な伝統を守る地域ではないかと考えられます。
それに対して吉備とか出雲は革新的な地域と言えるのではないか、早く古い祭りをやめて、新しい祭りに入っていくという傾向を見ることができます。
邪馬台国畿内説でも、九州説でも、「なぜなら大和(もしくは北九州)が先進地だから」と考えられています。
でも、出雲などの全く新しい勢力に対抗するために、旧勢力が大同団結して「維新」した結果が邪馬台国であり、卑弥呼であったのかもしれません。
そうすると、この本で一つの説としてあげられている
「邪馬台国に敵対する狗奴(クナ)国は静岡県」
という説もありかな。以下、恵美嘉樹がストーリーを考えてみました。
古い勢力の代表だった大勢力(筑紫、大和、尾張)が、出雲や吉備の葬祭マニフェスト(四隅突出型墳丘墓や特殊器台)に焦り、突然、「維新だ」「維新だ」と騒ぎはじめました。
彼らは、あろうことか、旧来はなかよくしていた既得権益を持つ勢力(この場合は、代表格の周辺の地方)を仮想敵にしたてあげて、切り捨てだした。さらには、マニフェスト派の吉備を切り崩し、自派に取り入れて大連立を組んだ。
それにキレた静岡県(尾張の周辺)、和歌山県(大和の周辺)、南九州(北九州の周辺)が、ヒミヒコを擁立して大同団結し、ヤマト維新の会と戦争を始めた!
現在の政治状況とミックスした想像が、意外にうまくはまっているので、自分でも驚いています(笑)
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