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歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

戊辰戦争で、官軍が会津盆地へなだれ込む直前の状況を記した記録が「発見」された。

戊辰戦争では、白虎隊員ふくむ会津藩、官軍など数々の証言が残っています。それもこんな一つ。
米沢藩は、会津と同盟を組んでいたので、藩主が城下にいても不思議ではない。しかもその投宿していたところが、来年の大河ドラマの山本八重さんちというのだから、また心憎いではありませんか。


八重の写真は同志社の特設ページより
http://www.doshisha.ac.jp/yae/message.html

2012/09/27 東京新聞夕刊(リンクなし)

 戊辰戦争の一戦、会津戦争の始まりの様子を伝える文書を、奥羽越列藩同盟を組み、会津藩とともに新政府軍と戦った米沢藩の藩主の子孫がまとめていたことが分かった。会津藩に駐在した米沢藩士らの手記や証言を基にしたもので、藩士は来年のNHK大河ドラマのヒロイン新島八重(旧姓山本)の実家に寄宿していた。
 文書は戊辰戦争後、米沢藩主だった上杉家が編纂した「米沢戊辰実記会津部」で、山形県米沢市の市立米沢図書館に所蔵されて
いた。
 実記によると、会津藩の砲術師範を務めていた八重の父山本権八の家に米沢藩士の内藤新一郎と蔵田熊之助が寄宿。内藤は、八重の最初の夫で藩校教授だった川崎尚之助の弟子となった。
 実記では一八六八年八月の鶴ヶ城(現福島県会津若松市)での戦いの前日、猪苗代城(現同県猪苗代町)の兵士らが猪苗代城に自ら火を放ち、敗走したとされ「会津藩士が『敵が攻めてきた。鐘が鳴ったら(鶴ヶ)城に入れ』と言い回っている」などと、新政府軍が迫っている様子を記している。
 戦い当日の早朝、内藤らは会津の戦況を伝えるため、山本家で急いで朝食を済ませ、米沢に出発した。この時の城下の様子を「辺り一面が黒煙に包まれ、銃丸が雨のように飛び交っている」と表現している。
 米沢図書館や文書を発見した歴史研究家あさくらゆうさんによると、米沢藩からの駐在は当時、数人おり、援軍を出すための情報収集などをしていたという。八重の実家は焼失し、八重と母琴りほ七〇年ごろの約一年間、米沢の内藤家に身を寄せた。
 八重は七一年に兄の覚馬を頼って京都へ行き、同志社大(京都市)創設者の新島襄と出会って再婚した。
 あさくらさんは「内藤は川崎に恩を感じ、八重らを米沢に招いたのだろう」と指摘している。

 なお、見つけたのは、記事によれば、歴史研究家の方だそうだが、、、おそらく、おそらく、おさらくだが、もうとっくに知られている史料だと思われる。たぶん、山形県史料みたいなのにも活字で載っているんじゃないかな、上杉家が編纂したというのなら。
 ご本人のHPを見ても「私が発見したエヘン」みたいなことがないから、たぶん記者が「発見者」に仕立て上げたのかもしれない。

 あさくらゆう氏主宰「歴史企画研究」
http://www.geocities.jp/you_funnyara/index1.html

著書も幕末関係で2冊ほど出されているようです。

慶応四年新撰組隊士伝―下総流山に転機を迎えた男たち (ふるさと文庫)

慶応四年新撰組隊士伝―下総流山に転機を迎えた男たち (ふるさと文庫)

しっかし、「あさくらゆう」でググると大変なことになりますなあ汗 「えみよしき」も気をつけないと。


このニュースの関係では、毎日新聞 2012年09月06日 山形版にちょうど以下のようなものが。次々に見つかりますなぁ、米沢市図書館さん。
http://mainichi.jp/feature/news/20120906ddlk06040082000c.html

 京都の同志社大創立者の新島襄の妻・八重が、戊辰(ぼしん)戦争後の1871(明治4)年の前後約1年間、旧嫁ぎ先の夫名「川崎尚之助妻」の名で現在の米沢市城西にあった米沢藩常備兵宅に居住していたことを示す史料が見つかったと同市が発表した。実兄のいる京都へ移るために当時の米沢県に出した通行手形の印鑑申請の願書の写しが米沢市図書館所蔵の「鶴城叢書(かくじょうそうしょ)」の中から見つかった。同市文化課は「戊辰戦争後、不明だった動静で、八重の米沢在住を裏付ける証拠だ」と話している。
 新島八重は来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」主人公。同志社大のホームページなどによると、実兄で京都府顧問の山本覚馬を頼り京都に住み、覚馬宅に出入りしていた新島襄と知り合い1876(明治9)年結婚した。会津藩砲術師範の山本家に生まれ、戊辰戦争時に断髪、男装で銃を取り会津若松城に籠城(ろうじょう)した。戦争前に藩校日新館の教授、尚之助と結婚し、籠城前に離婚を余儀なくされた。離婚後も「川崎尚之助妻」と名を使っていたと見られる。
 昨年秋、福島県会津若松市内の郷土史家が藩士家族の消息を記した「各府県出稼戸籍簿」から「尚之助妻」の八重が実家の母の「山本権八妻(家内という表記も)」らと「米沢県管内城下・内藤新一郎方出稼」の記述を発見した。このため米沢市側が「内藤新一郎」関連史料を調べ、内藤が記した日記・備忘録「明治三庚牛御触書」が「鶴城叢書」一七三巻に書写されていることが分かった。「鶴城叢書」は昭和5〜10年ころ市内に残る古文書を書写し図書館資料としたもので、原本は不明だ。
 内藤は御馬廻組の螺螺(ほら貝)吹の米沢藩士。御触書によると、会津藩士・川崎尚之助に付き従い大砲の練兵・操作を習ったことが記され、川崎の名の入った褒状もある。文化課は、2人の関係から内藤が八重らの世話をしたと推測する。八重らの通行手形印鑑願書には内藤の添え書きもあった。【近藤隆志】


もともとの発見は、
「昨年秋、福島県会津若松市内の郷土史家が藩士家族の消息を記した「各府県出稼戸籍簿」から「尚之助妻」の八重が実家の母の「山本権八妻(家内という表記も)」らと「米沢県管内城下・内藤新一郎方出稼」の記述を発見した。」とあるように、郷土史家のかたの発見が真の「新発見」のようですね。
これから八重関係は芋づる式に次々と「発見」されるでしょう。

八重のことの本はこれから雨後の竹の子のように出てきます。(恵美嘉樹にも依頼まってます笑)この本は、よさそうですね。八重の史料のほとんどは会津にはありません。京都です、それも同志社です。ですから、この本は本命でしょう。

新島八重 愛と闘いの生涯 (角川選書)

新島八重 愛と闘いの生涯 (角川選書)

著者インタビューがありました。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20120829-OYT8T00410.htm

 新島八重の生涯1冊に…同志社女子大教授が出版
 新島八重の生涯を著書にまとめた吉海教授。新島邸で行われたかるた取りでは、会津伝統の板がるた(手前)が使われたという(上京区同志社女子大で)
 幕末の会津福島県)に生まれ、戊辰戦争に男装で参戦、後に同志社大創設者の新島襄の妻となった新島八重(1845〜1932)の一生を、吉海直人・同志社女子大教授が著書「新島八重 愛と闘いの生涯」(四六判、248ページ)にまとめた。八重は、来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で、女優の綾瀬はるかさんが主人公として演じることでも注目を集めている。
 著書からは、封建的な時代の逆風にも負けず、幕末から昭和初期までの四つの時代を自ら切り開いて生き抜いた、気骨あふれる姿が描かれている。
 吉海さんの専門は平安朝文学だが、1989年、同女子大への着任をきっかけに、八重の研究も始めた。資料が乏しく、古書店で八重が86歳で亡くなる直前に収録された懐古談など、新発見の資料も入手。著書では初期、中期、後期の三つの時代に分け、豊富なエピソードを織り込んで紹介している。
 初期は、会津藩の砲術師範を務める山本家に生まれ、戊辰戦争に敗れた22歳まで。1868年に勃発した戊辰戦争で、会津藩は旧幕府側につき、薩摩、長州藩などの新政府軍と戦い、八重の父や弟は戦死。八重は断髪、男装して鶴ヶ城若松城)に立てこもり、敵陣に大砲を撃ち込み、炊き出しや負傷者の看護も行った。こうした武勇伝から「幕末のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれた。
 中期は、京都府顧問になった兄を頼って京都に移住し、襄と30歳で結婚、44歳で死別するまで。結婚の決め手は、「襄の一目ぼれ」。兄と親交があった襄が山本家を訪れた際、八重が井戸の上に板を渡し、その上で縫い物をする姿に驚き、おてんばぶりに心を奪われた。婚約後、襄は米国の恩人に送った手紙で、八重を「ハンサム・ウーマン」と表現するほどだった。
 二人は西洋的な家庭を目指し、男女平等を実践した。八重は襄を「ジョー」、襄は八重を「あなた」と呼んだ。「レディーファースト」で人力車に先に乗る八重を見て、周囲は「悪妻」と非難した。吉海さんは「今なら共感を得られる夫婦だが、当時は奇異な目で見られた。八重なりに悩んだだろうが、平気な顔をして頑張った」と話す。
 夫婦仲は良く、甘い物好きの襄のため、八重は宣教師夫人に習ったジンジャーブレッドやワッフルを焼いた。自邸に学生を招き、手製のお汁粉を振る舞い、百人一首を板に記した会津伝統の「板がるた」で遊んだ。子どもは授からなかったが、温かい家庭を築き上げた。
 後期は、襄と死別してから晩年まで。戊辰戦争で負傷者を手当てした経験を生かし、日清、日露戦争に看護婦として従軍。陸軍の病院で、看護婦のまとめ役として働いた。一方、裏千家茶道を習って稽古に励んだ。自宅に茶室を作るなど、茶道家としての一面もあった。
 吉海さんは「敗戦体験や、決して長くはなかった結婚生活など困難も多かったが、弱音を吐かず、信念を貫いた。会津、京都、日本を舞台にたくましく生き抜いた一人の女性の生涯を知ってほしい」と話している。
 1680円。問い合わせは角川学芸出版(03・5215・7815)へ。(木須井麻子)
(2012年8月29日 読売新聞)