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歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

武士は小さかった。だがそれはビッグバンの前触れ

平安時代

連載中の雑誌「ひととき」での取材に向けて、平安時代の後半について取材していますが、この時代は面白いですね。

古代なのか、中世なのかグレーなゾーンである。
日記など史料が格段に多く残っている一方で、定説(常識)を作っている源氏物語をはじめとする文学作品の影響力が今なお色濃い。

こうした時代は、常識から抜け出すのに時間がかかるけども、一度ブレークスルーするとたまりません。

おいおい紹介していければと思いますが、平安時代後半(学界的には中世のはじまり)である「院政」と「源平合戦」(これも専門的には治承・延久の内乱と呼ぶ)を巡る研究は、まさにブレークスルーして、一般的な歴史書にもそうした果実が相当実っていっている状態のようです。

最初から最後までのけぞりながら読んだのは、川合康「源平の内乱と公武政権」(2009年、吉川弘文館源平の内乱と公武政権 (日本中世の歴史)ですが、これはレビューすると頭からしっぽまでやらないと、となって大変なので、いつか今世紀中にはレビューしたいと思います。

では、まずは古い時代からスタートということで、
美川圭『院政』(中公新書、2006)

院政―もうひとつの天皇制 (中公新書)

院政―もうひとつの天皇制 (中公新書)

 院政期というのは、源平合戦の一つ前の時代、11世紀と思っていればまあいいのでしょう。おおざっぱ。

 この時代のヒーローといえば、八幡太郎こと源義家さんです。江戸時代の武士のあこがれのスーパー武士なので、八幡社が今でも全国各地にたくさんあるのは、宇佐八幡宮のパワーというよりも、武士の元祖的な義家の存在が大きいのです。

 で、当然ながら歴史研究というのは、この英雄の虚像を引っぺがすという方向になります。

 後三年の役ののち、義家が長く「前」として新たな官職に就くことなく、朝廷に冷遇されていたのは、義家を恐れたのではなく、まさにこの陸奥守時代の朝廷への貢納未進(滞納)が最大の理由であったとするのが元木泰雄氏の説である。当時の国司にとって、最も重要な仕事は官物(租税や上納物)などの徴収であり、その一部は朝廷に貢納されねばならなかった。
 59P
 それを十年も経って完了していない国守の存在は、朝廷にとっては許し難かった。
 白河院としても、そのような受領として無能な武士を、貴族達の反対を押し切ってひきたてることなどできなかった。あるいは、そうするほど義家は重要な存在でもなかったといえる。
 60P

 つまり、源義家上皇や高級貴族たちの手駒に過ぎず、それもちょっとダメなやつというレッテルすら貼られていたということです。

 当時の武士は、源氏でも平氏でも、院の権力を脅かす可能性など皆無であると、貴族社会では考えられていた。
 P63

 これは重要な視点ですね。武士たちが「俺たちってすごくね」と思っちゃうようになるのは、保元の乱(1156年)の12世紀なようです。

 たいしたことのない存在感の武士が急速に台頭するのは、続く保元の乱平治の乱なのですが、本書では定説をなぞるような形で展開しており、あまり「へえ」はありません。

 保元の乱平治の乱では、河内洋輔『保元の乱平治の乱』がとても面白いので、続きはまた今度。