戦国時代のディプロマミル
歴史学研究2009年2月号の大藪海さんの論文「戦国期における武家官位と守護職」を興味深く読みました。
といっても論文は難しいので、はっきりいって理解してませんが、この論文の前提となる論争について、興味深いと思ったわけです。
前にも紹介した、著名な中世研究者(学界からは破戒者的な扱いを受けているようなw)の今谷明さんの『戦国大名と天皇』(講談社学術文庫、2001)が問題のようのです。
- 作者: 今谷明
- 出版社/メーカー: 講談社
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戦国時代のお話。武士が力をつければ名誉やら肩書きがほしくなります。そこで、鎌倉時代以来、幕府はこんな元暴力団に「守護職」というのを与えてきて、立派な社会の構成員としてきてきました。
でも、戦国時代になると、幕府そのものの首を狙うようなやからがでてきて、その権威は低下し、それに伴い幕府がくれる守護職という肩書きも価値が低くなってしまいます。
そのため、名誉欲たっぷりの戦国大名たちは、サブプライムな肩書きではなく、プレミアムな肩書きを求めます。それが古代の官職だというわけです。
「○○国司」などの官職は、古代、天皇や朝廷に権威があったころに燦然と輝いていたのですが、武士の棟梁がいばってしまったためにその地位は低下していました。
しかし、
「今や(戦国時代のことですね)ルネサンスの時代!これからは守護でなく官位だぜ!」
という動きがあったことを「発見」したのが今谷さんだったわけです。すごい着眼だと思います。
しかし、今谷さんはこの流れを「天皇の権威のアップ」と評価したために、歴史学会からは大きな(ただ世の中には知られない)反論&論争があったようです。
その反論陣営では、池亨さんと堀新さんが代表論客らしく、
それぞれ、池さん「大名領国制の展開と将軍・天皇」(『戦国・織豊期の武家と天皇』校倉書房、2003)と、堀さん「戦国大名織田氏と天皇権威ー今谷明氏の「天皇史」によせて」(『歴史評論』523、1993年)というのがあります。
- 作者: 池享
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今回の大藪さんはその反今谷派へのシンパシーから始まります。
天皇権威と直接結びつけることは困難である。今谷の説への批判は妥当なものといえるであろう。
しかし、最後は
戦国期も末期に近くなると、多くの国で守護は実態を失い、権限行使をする力=権力を喪失する。略
そして、その戦国末期の守護職の存在形態は、当時の官位のそれと一致する。
などなど、第三者からみると結局今谷説が正しいんでないのかなと思うところに落ち着いています。
なんとなくですが、「天皇権が前年比アップ」みたいなことに、過剰に反応するところが歴史の学会にはいまだに根強いのかなとも感じました。
恵美には、たんに「相対的に」天皇の権威がアップしたとすればいいだけのような気がしました。ちゃんちゃん