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歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

日本の神々をサブカル世界に大追跡 古代史ブームデータブック

原田実『日本の神々をサブカル世界に大追跡 古代史ブームデータブック』(ビイング・ネット・プレス)1800円

日本の神々をサブカル世界に大追跡―古代史ブーム・データブック

日本の神々をサブカル世界に大追跡―古代史ブーム・データブック

恵美もそうですが、この本を買う人は「私しか買わないだろうなあ」と思って購入するのではないでしょうか。
それほど、ニッチかつ壺にはまった本です。

漫画やアニメ、ゲームで活躍する日本神話の神々に関係するキャラクターの元ネタ本(つまり古事記日本書紀など)を紹介するという内容です。

副題にあるとおり、最初から読むよりも、データブックとして置いておこうかなと思いますが、本書のテーマであるサブカルと神話がリンクされるとする70、80年代(神話が消費される時代)より前の時代について書いた1章「古代史ブームとオタク文化の接点」が文化史論として興味深く印象に残りました。

古代史ブームの花形スターたちの業績を今見直すと三つの特徴に気づきます。一つは彼らの著書を読んでいくと、古代史研究に志す原体験として、著者の戦争体験に関する記述がしばしば現れることです。

(略)

つまり、彼らはその体験を通じて戦争の愚劣さを学びとった。そして戦時中、当時の政府が皇室の権威を支えるものが日本神話であったことを強く印象付けられた。だから、自分たちを戦争へとひきずっていった日本神話の正体をなんとしてもつきとめたい、と願うようになったというわけなんです。(P34〜35)

漫画や小説などに消費材として使われるようになった古代史はあくまでエンターテーメントの中で育っていくので学術的にあまり影響を与えませんが、戦後の歴史学者たちの「自分探し」の材料として使われた古代史は、ある意味で今も学会の動向に大きな影響を与えているだけに、戦前の皇国史観と同様の危険さを感じました。

古代史に限らず、明治期から戦時中までの教育と戦後の教育ではそのバックボーンとなる歴史観は異なっていました。しかし、その違いがもっとも顕著に現れるのは古代史だった。

なるほど。

たとえば金達寿なら「渡来人史観」、梅原猛なら「怨霊史観」「梅原日本学」、古田武彦なら「多元史観」「古田史学」という具合ですね。(略)ほとんど主唱者の通り名のように使われる名称があった。
古代史研究の目的を真実の探求に置くなら、これは実はまり良くない傾向かも知れなかったんです。というのは、特定の研究者がその学説によって孤高を保つ、ということはその説に他の研究者を納得させるだけの真実味がない、というだけのことだったりするわけですね。

上のようなことは考えていなかったですが、言われてみればかなり重要な指摘です。
(ただ、「知れなかったんです」などの口語調と「名称があった」などの表記の混合はそろえて欲しかったです)

そして、その新しい世代にとって、日本神話は「歴史」として教えられたものでもなければ、その復活を恐れるべき相手でもなくなった。それはフィクションの題材として、ひたすら消費しうる対象になったというわけです。

第一章を読むと、なぜ古代史ブームが起き、そして今終息したかがよく分かりました。
別に高松塚の発見でブームが起き、高松塚の破壊でブームが消えたというわけではなかったのですねw

2章で

古代史関係の作品で最も不気味なのは短編「火神被殺」(1970)でしょう。神話の里・出雲の里の地でおきたバラバラ殺人事件、挑むは古代史ファンの素人探偵。推理を進めるうち、事件は、日本神話のいくつものモチーフが重層した「見立て殺人」かに見えはじめるが…。結末で明かされる「真相」には、本格推理ファンこそがかえって驚かされるでしょう。

と思わせぶりに紹介されていた松本清張の『火神被殺』を[http://www.ebookjapan.jp/shop/search.asp?pageid=top&range=piece&string=%89%CE%90_%94%ED%8EE:title=ebookjapanで購入して読みました。

うーん、なるほど。トリックはともかく、今読むと松本清張、まどろっこしいw
東野圭吾伊坂幸太郎のようなスピード感のある小説に親しんだ今、申し訳ないけど松本清張は飛ばし読み飛ばし読みです。