歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

エアフォース1の中で麻生首相にぜひとも読んでいただきたい一冊

バブルの崩壊、株価の大暴落のあとに読まれる恐慌論の名著です。「あとに読まれる」というところが、人類としては痛いところですが、まあそういうものでしょう人間は。

大暴落1929 (日経BPクラシックス)

大暴落1929 (日経BPクラシックス)

たしかドイツのビスマルクが「賢者は歴史に学ぶ。愚者は経験に学ぶ」と言っていたと記憶しています。

今回の金融危機について、欧米は一直線ではありませんが、この1929年の「歴史」に学ぼうとしています。

一方、わが日本の経済に詳しいと自称している麻生首相は、「日本が経験したバブルの崩壊とその対処法に、世界は学ぶべきだ」と豪語しています。
残念ながらこれでは、われわれリーダーが愚者であることを晒しているようなものです。

だれよりも麻生首相に読んでいただきたい一冊です。

政府はきっと、国民を安心させようと決まり文句を言うだろう。市場があやしい雲行きになったときの常套句、すなわち「経済は基本的には健全である」とか「ファンダメンタルズは問題ない」というものだ。この台詞を聞かされたら、何かがうまくいっていないと考える方がいい。

今年1月に民間の大田弘子経済財政担当大臣(当時)が「日本はもはや経済は一流といえない」と、日本のファンダメンタルズが悪いと発言したところ、大いに叩かれて事実上、改造内閣で更迭されました。そのかわりに「ファンダメンタルズはいいので増税すべき」「埋蔵金なんてものはない。増税すべき」と主張していた与謝野馨氏がかわりに大臣になったのは記憶に新しいところです。
そして、本書が指摘するように政治家がファンダメンタルズはいいということは、何かがうまくいっていない証明であることが明らかになったのも、もっと記憶に新しいところです。

FRBのとった措置がその後の投機と大暴落を招いたという見方は、以来すっかり定着している。この見方が支持されるのは、もっともな理由があるからだ。まず、わかりやすい。それに、アメリカの国民も経済制度も非難されずに済む。(略)
だがFRB犯人説は、カネを持たせれば国民は投機に走ることが前提になっている。そんなばかなことはない。

今回の大暴落でもFRB前議長のグリーンスパン個人の「罪」という方向に収束させようという動きがあるようです。
本書が繰り返し伝えるのは、「どんな人間でもカネの亡者である、なんてことはない」という一種の性善説です。カネを追い掛けることが社会的に恥やモラルから反しないという社会や文化が生まれてはじめて、投機がおきるという考えです。
「カネを稼いでなにが悪い」という問いにだれも反論できなくなったアメリカ、日本をはじめ世界中の国々のモラルの低下が、80年前もそして現代も暴落を呼び起こしたというわけです。
数値やデータには見えない心の問題が、欲というモンスターを押さえていたのだということは、理解できる一方で、自分たちがモンスターと化してしまった人々にとっては認めたくはないことでしょう。
日本ですでに捕まったカネを稼いだ人たち、そしてこれから処罰されるであろうアメリカのカネの亡者たち。いずれも自分たちが欲に負けたことを認めることはおそらくないはずです。それは80年前の歴史が教えてくれます。

要するに「繁栄は続く」とおごそかに託宣が下されれば実際に繁栄が続くというもので、とくに経済界ではそうしたご託宣の効果が根強く信じられていた。

人が他人にだまされる例はめずらしくもないが、一九二九年秋このときは、大勢の人が自分で自分をだました。

これらのことはおそろしいばかりに現代の事象とぴったり繰り返されています。

まったくの後知恵だが、一九二九年がどうしてああいう年になったかを理解するのは簡単である。略 株式市場はブームに沸いていたが、どんなブームもいつかは終わるということである。
(略)
もしそうなったら、少なくとも名目上責任ある人の立場は厄介なことになる。(略)そうした立場にいた人の中には、ブームが続くことを望む人もいた。

まさしく、FRBバーナキン議長は、名目上責任ある人だったので、サブプライムローンの問題をおそらく理解しながら、認めることができなかったのでしょう。
危機に対しての処方せんは二つしかありません。
今やるか
 それとも
放置するか
そして、上のような心理状況から常に後者が選ばれてきた、悲しき人類の歴史があるのです。

一九二〇年代後半に投機のために考案された仕組みのうち、何より特筆に値するのは、投資信託、正確には会社型投資信託である。(略)
しかし投資信託の方がよほどふしぎと言えよう。「決して内容が公開されない事業」であるにもかかわらず、大いに売れたのだから。

21世紀の投機には、御存知サブプライムローンが考案された。今回の悪魔は「決して内容がだれにも理解できない事業」であるのに、大いに売れたわけです。

気になるのは、果たして歴史をあらかじめ学んでいれば、この大暴落とその終息を予測できたという点ですが、それは難しいようです。

深刻な不況の襲来に市場が突如気付いたから暴落が起きたと一部では言われているが、決してそうではない。株価が下がった時点では、程度を問わずどんな不況も予想できていなかった。

およそどんなきっかけからでも崩壊するというのが、投機ブームの性質だからである。

その後三年もの長きにわたって生産、物価、所得その他もろもろの指標が下がり続けるだろうなどとは、誰も想像だにしなかったのである。

というわけです。

本書では、暴落のドキュメントがリアルタイムで紹介されており、それこどドラマ「24」を見ているようです。恵美が「へぇ」だったのは、あの有名な「暗黒の木曜日」が、すさまじく暴落した一方で、実は終値では12ドルしか下がっていなかったのだそうです。

それでもわずか1日内の瞬間的な下落によって、多くの人が追い証の発生により破綻したのだからあまり慰めにならないのですが。

自分たちが破滅したあとになって相場が回復したと知っても何の慰めにもならない。空しさが募るだけだった。

そりゃそうでしょう。

今後とも忘れていけない金言もちりばめられています。特に政治家や金融の偉い人が言う言葉に注意しろということです。

こうした発言はただの気休めなのであり、当然ながら気休めを言うのに知識などいらない。そのことはしかと肝に銘じておくべきである。
(略)
翌月曜日の紙面では、証券会社や投資信託が、割安なうちの賢いお買い物を奨めるキャンペーンを一斉に打つ。ある会社の広告にはこんなことが書かれていた。「厳しい選択眼と慎重な判断はいつの時代にもよい投資の条件です。ですが今回は、そうした厳しい目をお持ちの投資家のみなさんにも安心してお買いいただけると私共は確信しております」。ほんとうの災厄が始まったのはその月曜日だった。

そうなのだ、暗黒の木曜日のあとにこそ本当の危機が訪れたのだ。なんともシュールな展開であります。

そして、やってきた本命の暴風雨によってあらゆる権威はその権威を失っていきます。なかなかの教訓だと思います。

逆であれば喜ばしいのだが、じつは人は権力に屈しやすいものである。銀行家が権力を持つとみなされていた間は、その権力が疎まれることは滅多になかった。(略)多くの独裁者の例をみればわかるように、権力を持っていた人間がそれを失ったり破滅に陥ったりしようものなら、大衆から手ひどい仕打ちを受けることになる。(略)死んだのちもなお幾多の辱めを受けなければならない。
銀行家を襲ったのもまさに同じ運命だった。続く一〇年間、議会の委員会で、法廷で、記者会見で、そしてコメディアンにまで、銀行家は格好の標的にされた。

麻生首相をはじめ各国の首脳がアメリカでG20なる経済危機への対策を考える会議をするそうです。最後に本書の引用で、その会議の評価を事前にしてみましょう。これこそ人間が歴史をなぜ学ぶ必要があるかの問いに対する答えだと恵美は信じています。

一九二九年の秋にフーバー大統領が直面した状況にあっては、こうした無目的の会議はうってつけの小道具だった。(略)
そこで絶好の隠れ蓑となったのが無目的会議だった。ホワイトハウスでたびたび開かれたこうした会議は、実際には自由放任にほかならない。しかも何も具体的な行動につながらなくても、会議を開くこと自体が実に重々しい行動として印象づけられる。何もしない会議という約束なのだから、何もしなくても出席者は一向に当惑しない。(略)
民主政治を安定して運営するためには、何もできないときでも何かやっているとみせかける装置が必要なのであり、フーバー大統領は一九二九年に、行政のこの方面で先駆者になったと言えよう。