歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

21世紀に明らかになった21+@の日本古代史の秘密!

恵美嘉樹の最新作『図説 最新日本古代史』が2008年10月28日、学習研究社(学研)から出版されました。ここでは本書のエッセンスをお伝えします。知っているようで知らない、難しそうでいてじつは簡単、歴史教科書では味わえない古代史の魅力をぎゅっと一冊にまとめました。最新の考古学や歴史学の研究成果を盛り込んだ、「古くて新しい」魅力的な歴史の旅をお楽しみください。
7アンドYブック(ヤフーブック)の「歴史」カテゴリーで1位を記録しました(11月8日)
11月3日読売新聞・朝刊に掲載されました。
*リンク先はアマゾンです。

図説 最新日本古代史

図説 最新日本古代史

弥生時代・神話

秘密その1 ある日、町内会長から教祖へと変わった弥生時代の王たち

 出雲では弥生時代中期の終わりに突然、それまで信仰の対象だった青銅器の剣や矛などが地中に埋められます。代わって墓の規模が大きくなります。これは信仰の対象がモノから神格された王に移ったことを意味します。ある意味で弥生末の邪馬台国以上に日本史上の画期でした。

 詳しくは、『図説 最新日本古代史』26ページ(リンク先はamazonです)「八雲立つ出雲−日本海のきら星たち」

秘密その2 卑弥呼邪馬台国の女王ではなかった?!

 卑弥呼倭国の女王であって、邪馬台国の女王とは限りません。どんな辞書にも卑弥呼邪馬台国の女王と書かれていますが、実は原典である『魏志倭人伝』には、そんなことは一言も書いていません。倭国邪馬台国卑弥呼の関係は、現代のアメリカ合衆国に置き換えるとすっきり分かります。
 アメリカ合衆国倭国テキサス州カリフォルニア州がそれぞれ立法機能を持つように、倭国も各地のクニグニの集合体でした。邪馬台国もそうした一地域であるクニの一つでした。

詳しくは、『図説 最新日本古代史』35ページ(リンク先はamazonです)「卑弥呼邪馬台国の女王ではなかった?!」

秘密その3 邪馬台国は九州から大和へ遷都した倭国の新都だった
 九州説と畿内説に分かれる邪馬台国論争に終わりはないように見えます。しかし、ある見方で『魏志倭人伝』を読むと、両方の説を矛盾なく説明できるのです。キーワードは、「遷都」。あなたも一緒に邪馬台国の謎を解いてみませんか?

詳しくは、『図説 最新日本古代史』42ページ(リンク先はamazonです)「結論 倭国の首都は二つあった」

秘密その4 本当はグリム童話よりも怖い日本の伝説
 「とおりゃんせ、とおりゃんせ」の童謡をご存じでしょうか?この童謡の原型となった伝説が『播磨国風土記』にあります。そこには、10人の旅人がくれば5人を殺し、20人が通れば10人を殺すおそろしい神が描かれています。この伝説はただの古い古い言い伝えではありません。今も残る神社が、史実を反映したその秘密を物語りはじめます。

詳しくは、『図説 最新日本古代史』76ページ(リンク先はamazonです)「本当は怖い『とおりゃんせ』伝説」

古墳時代

秘密その5 新生ヤマト王権ハイブリッドカー
 ヤマト王権とは、難しく言うと、奈良時代にできた日本書紀によって正統性を与えられた政治組織のことを言います。そしてそれは前方後円墳の時代とかなり重なります。ヤマトの象徴である前方後円墳は、実は日本各地の文化を持ち寄ったものだったのです。弥生時代末の各地の有力勢力のアイデンティティが合体した「最強のロボ」といえるのです。ところが、北九州だけがなにも持ち寄っていません。それでは九州が持ってきたモノとはなんだったのでしょうか?形としては残らないもの、それは名前だったのではないでしょうか。

詳しくは、『図説 最新日本古代史』81ページ(リンク先はamazonです)「ヤマト王権は地方勢力の合体ロボ?」

秘密その6 前方後円墳をデザインしたのは卑弥呼の親戚、壱与?
 前方後円墳という味気ない名称は、もちろん古代人がそう呼んだのではありません。江戸時代になって命名されたものです。この日本独自の形は、なにがもとになっているのでしょうか。色々な説がありますが、不老不死の世界である神仙世界を具現化したものという説が有力です。前方後円墳は神仙世界にそびえる「壺」の形をした蓬莱(ほうらい)山というわけです。
 この世界に例のない世界観を作りだした天才は誰なのか? 著者は卑弥呼の2代あとの女王、壱与(いよ)を候補にあげますが、神話の神々の中に隠れているかもしれません。みなさん、候補者(神?)に気付いたらぜひ教えてください。

詳しくは、『図説 最新日本古代史』84ページ(リンク先はamazonです)「前方後円墳は壺だった」


秘密その7 世界遺産候補の「仁徳天皇陵」は「仁徳天皇陵」ではない!?
 世界一大きな墓として世界遺産候補となっている「仁徳天皇陵」。実は埋葬されているのは仁徳天皇ではない可能性が高いのです。
 「大山(だいせん)古墳」と呼ばれているこの古墳にはだれが眠っているのでしょうか。
 こたえは反正天皇。知名度の低い天皇ですから、ぴんと来ない方もいるかもしれません。
 もっとも、仁徳天皇反正天皇の実在が証明されているわけではありませんが、少なくとも宮内庁の指定には矛盾があることは事実です。
 かりにめでたく世界遺産となったとしても、しっかりとした史実を認識しなくてはなりません。
 詳しくは、『図説 最新日本古代史』97ページ(リンク先はamazonです)「2系統あった大王の系図?」


秘密その8 皇族6人連続暗殺事件の闇と真相
 短期間に天皇を含む皇族が6人も次々に暗殺された事件がありました。これほどの事件は日本史上ありません。それは5世紀の後半に実在した雄略天皇の即位を巡るものです。雄略天皇は、同じ『日本書紀』の中で「大悪の天皇」とも「有徳の天皇」とまったく逆の評価をされています。あまりに壮絶な殺戮を前に、歴史の真実が封印され、両極端な記述のみが残ったと考えられます。
 「日本書紀が敗者の歴史を隠している」と声高に主張する本は多いですが、なぜかこの時代のことを避けて通りがちです。なぜなのか?私たちは今回、執筆にあたり、その謎が分かりました!人間関係が複雑すぎるだからです!(笑)日本書紀の原文を丹念に図解した関係図(113ページ)をぜひご覧下さい。

詳しくは、『図説 最新日本古代史』42ページ(リンク先はamazonです)「雄略は「大悪の天皇」か?「有徳の天皇」か?」


秘密その9 越からやってきた継体の大和入りを阻止したのは誰か?
 継体(系譜上は第26代)は、なぞに包まれている天皇といわれています。
 前代の武烈天皇は後継者を残さないまま死亡してしまいました。越から担ぎ出されたのが継体。すでに57歳。当時としては圧倒的な高齢です。
 かれの出身地についてもなぞがあります。越前説、近江説がありますが、いずれにしてもそれまでの通例を破ってヤマト近辺ではなく地方出身者から選ばれた天皇でした。もちろん、長い天皇家の歴史の中で後にも先にも例はありません。
 継体は「応神天皇の5世孫」であるという大義名分をかかげて、継体は越から大和入りして天皇(大王)となりました。
 しかし、大和に入ることができたのは即位してから20年を経過していました。そのため、大和入りを邪魔した抵抗勢力がいたという学説があります。
 それでは、はたして継体のまえに立ちふさがったのは誰だったのでしょうか。継体はいかにして大和入りを成功させたのでしょうか。
 数多くの継体のなぞに肉薄します。
 詳しくは、『図説 最新日本古代史』140ページ(リンク先はamazonです)「大和入りを邪魔した抵抗勢力は誰か?」

秘密その10 墓室の変更から死生観のうねりを読み取る
 越からやってきた継体は、今城塚古墳に埋葬されたといわれています。
 最近の考古学の成果によって、今城塚古墳の全貌が明らかとなってきました。
 それまでの大王墓は、まるい後円部の頂上から穴を掘る「竪穴」だったのに対して、継体の墓はすそから横に入り口のある「横穴」を採用しました。
 一見たんなる形式の変化にしか思えないかもしれませんが、この変化は当時の死生観が大きく変わったことをあらわしています。
 いったい、古代人の死生観はどのように変化したのでしょうか。
 詳しくは、『図説 最新日本古代史』149ページ(リンク先はamazonです)「皇統をつないだ死生観の革命」

東アジアの中の古代日本

秘密その11 中国、「唐」のことをなぜ「から」と呼ぶのか
 なぜ、日本では「唐」のことを「とう」だけではなく「から」と呼ぶのでしょうか?唐とは、遣唐使で有名な中国の大帝国です。唐風、唐辛子、唐人・・・「唐」という単語はこの帝国のことだけを意味せず、その後の「中国」の王朝ことを、さらには広く「外国」を指す言葉となっています。遣唐使を送る奈良・平安時代の日本にとって、海外とはすなわち「唐」のことを意味していたからです。しかし、どういうわけか、「唐」を「から」と呼ばせています。その理由は、飛鳥時代以前の「外国」を意味した言葉が「から」だったからです。
 「から」とは漢字で書くと、「加羅」です。朝鮮半島三国時代と呼ばれていますが、実は半島南部をおさえた加羅は非常に重要で、力のあった国でした。特に日本にとっては弥生時代以来、大陸文化は基本的に加羅を通じてきたのです。
 ヨンさまのドラマで有名になった好太王(広開土王)の高句麗は、朝鮮半島を南下しますが、海を渡ってきた日本軍と戦います。あまり知られていませんが、このとき、なぜ日本は海を渡ったのか?それには、この加羅が大きく影響力を発揮しています。ヨンさまのドラマでは教えてくれない、日韓の考古学の成果をぜひ確かめてください。

 詳細は、『図説 最新日本古代史』132ページ(リンク先はamazonです)「東アジアの最強国家、高句麗」、95ページ「捨てられる鏡と導入された新兵器」

秘密その12 糟糠の妻を裏切り、新しい愛人と浮気した日本
 5世紀までの日本にとって、加羅こそが海外の窓口であり、外国の代表でした。加羅にとっても日本はなくてはならない永遠のパートナーでした。しかし、6世紀に入り、越(福井)出身の継体天皇が即位すると、状況は一変。このころ、半島では、南下する百済加羅が衝突していました。双方共に日本へ味方になるよう要請します。そして、継体天皇加羅から、より中国化が進んでいた百済へと外交方針を大転換したのです。
 これに驚いたのが、加羅であり、さらに驚愕したのが加羅との窓口利権を握っていた北九州の雄、筑紫君磐井でした。そして、古代最大の内戦、磐井の乱が勃発するのです。
 考古学や歴史学の最新成果から判明した、この「1年半戦争」の両陣営の戦略と動きは必読です。

 詳細は『図説 最新日本古代史』128ページ(リンク先はamazonです)「貞淑な妻、加羅を裏切り浮気したヤマト王権」、143ページ「ヤマト王権の統一は波乱の前夜」、146ページ「古代最大の内戦、磐井の乱の真相」

飛鳥時代

秘密その13 聖徳太子はいなかった、って本当?
 最近の教科書を見ると、「聖徳太子」とは書いていません。「厩戸王(聖徳太子)」となっています。10年ほど前にある歴史学者によって「聖徳太子はいなかった」という大胆な説が提示されたからです。実はよく説をみると、それほど大胆ではなく、「聖徳太子のような聖人ではなく単なる皇族」という聖徳太子の「人間宣言」をしたものでした。「いなかった」が一人歩きした感のあるこの説を検証してみました。
 冠位十二階、十七条憲法法隆寺…。聖徳太子の業績をそれぞれ見ていくと、冠位十二階=蘇我馬子との共作、十七条憲法=当時使われていない言葉も混じっていてちょっと変、法隆寺=今は世界遺産だけど当時はこの程度の寺はざらにありました。
 というわけで、聖徳太子はいなかった説に軍配をあげそうになりますが、ちょっと待った!
 秘密その11に続きます。

 詳細は『図説 最新日本古代史』183ページ(リンク先はamazonです)「聖徳太子はいた、かも?」

秘密その14 推古天皇の「推古」の意味を知っていますか?
 聖徳太子の時代の人物で、日本史上初めての女性天皇推古天皇。彼女は自分が「推古天皇」と呼ばれるなんて思ってもいなかったのです。神武天皇雄略天皇継体天皇天智天皇…古代の天皇の名前は実は死後、ずいぶん後になってから付けられた名前なのです。
 このことは古代史を学ぶ人には常識といえば常識なはずなのですが、どうしてもこの通り名を使っていまいがちです。きっと楽だからでしょう(笑)
 なにしろ、カムヤマトイハレビコ(神武)やらオホハツセワカタケル(雄略)なんて言われると誰が誰だか分からない。(ちなみにこの常識に果敢に挑戦し、あくまで原文通りの名前で古事記を現代語訳した三浦佑之氏の
口語訳 古事記―人代篇 (文春文庫)
『口語訳古事記』(文春文庫)がベストセラーになったのは記憶に新しいところです)
 推古天皇には、推古のほかに二つ、計三つの名前があります。このなかで彼女が生きていたときに知っていた自分の名前は一つだけ「額田部」さんです。
 そこで、秘密その10の話に戻りますが、推古天皇が「推古」と生存時に呼ばれていなくても「推古天皇はいなかった」とは誰も言いません。聖徳太子が当時、そう呼ばれていなかったからといって、「聖徳太子(の業績を含めて)はいなかった」と言い切るのは、ちょっとどうなのでしょうね。

 詳細は『図説 最新日本古代史』176ページ(リンク先はamazonです)「日本初の女帝誕生」180ページ「『推古』に込められた意味」

大化の改新壬申の乱

秘密その15 大化の改新の黒幕はずばりあの人!
 日本書紀が古代史を知る上でもっとも重要な資料であることは疑いの余地はありませんが、歴史は常に勝者の手で書かれ、敗者の姿を見つけるのは難しいことです。
 645年の大化の改新のクーデターも同様に、ヒーロー中大兄皇子天智天皇)と中臣(藤原)鎌足のペアが悪の蘇我氏を滅ぼすというストーリーで描かれています。
「それはちょっと都合がいいんじゃないの」と、戦後になって蘇我氏の名誉回復が行われました。現在、出版されている古代史の入門書でもおおむね、「藤原氏のほうが悪い。蘇我氏はえらい」というスタンスで書かれています。
 しかし、それはもう古い!
 すでに歴史研究は第二段階、つまり「大化の改新2.0」に入っています。
 今、浮かび上がる真の黒幕とは?!
 くわしくは『図説 最新日本古代史』(リンク先はamazonです)「大化の改新の真実」


秘密その16 藤原氏茨城県出身!
 それこそ昭和の太平洋戦争がおわるまで、藤原氏は日本の政界に大きな影響を及ぼしてきました。およそ1400年もの間、貴族であり続けたわけですが、このような貴族は世界史的にも稀有な例といえます。
 その藤原氏の始祖は鎌足といわれています。しかし、意外なことに、藤原氏茨城県出身だったという学説がだされ、有力視されています。なぜ茨城出身だった藤原氏は中央に進出できたのでしょうか?
 くわしくは『図説 最新日本古代史』230ページ(リンク先はamazonです)「茨城出身だった藤原氏

秘密その17 王家の紋章をもつなぞの巨大寺院
 最近、新薬師寺の建物跡(金堂)が発掘され、東大寺の大仏殿と同規模だっというびっくりするニュースが飛び込んできました。地中に深く眠る歴史のロマンはつきません。
 日本一大きな塔も、地中から突然あらわれました。文献に「百済大寺」として記載される九重塔です。
 百済大寺は、蘇我氏に対抗して天皇家がつくったはじめての寺院です。場所も飛鳥ではなく、天皇家のふるさとともいえるイワレにつくられました。天皇家がつくった百済大寺から出土した瓦の文様は、王家の紋章とよばれました。
 発掘成果の結果、塔は25階建てビルに匹敵する巨大な建造物であることが判明しました。天皇家の威信がかかっていたにちがいありません。
 くわしくは『図説 最新日本古代史』169ページ(リンク先はamazonです)「王家の紋章を持つ日本最大の九重塔」

秘密その18 暗殺された天皇はだれ? なぜ?
 歴代天皇のなかで、暗殺された天皇が二人います。
 みなさん、だれかわかりますか?
 ちなみに暗殺側の首謀者として容疑がかかるのは雄略天皇蘇我馬子です。
 くわしくは『図説 最新日本古代史』110ページ「雄略は「大悪の天皇」か?「有徳の天皇」か?」172ページ(リンク先はamazonです)「前代未聞、臣下による天皇暗殺」

秘密その19 古代の六本木ヒルズをぶち上げた蘇我氏
 飛鳥寺は日本最古の仏教寺院といわれています。
 蘇我氏は当時の最新技術を持った百済からやってきた人(渡来人)と密接にかかわりがありました。百済人の協力のもと、最新技術を駆使して飛鳥寺を建立しました。技術力の高さは、発掘成果によって証明されました。
 本尊に鎮座されたまばゆいばかりの金堂像は、蘇我氏の権威の象徴でもあり、時の推古天皇厩戸皇子聖徳太子)に大きな影響を与えたことでしょう。
 瓦葺の建物はまったくありませんでした。飛鳥寺が最初です。古代人はこの「見たこともない」巨大な瓦葺の寺院をみて、「蘇我氏恐るべし!」と感じたに違いありません。東京の六本木ヒルズをみあげて感嘆する現代人の感覚に近いかもしれません。
 くわしくは『図説 最新日本古代史』165ページ(リンク先はamazonです)「初めての寺は”古代の六本木ヒルズ”?」


秘密その20 高松塚、キトラ古墳の被葬者はあの人
 人物装飾壁画古墳として有名な飛鳥の高松塚古墳に眠るのは、左大臣従一位までのぼりつめた一流貴族、石上麻呂(いそのかみまろ)の可能性が高いのです。
 そして同じ装飾古墳、キトラ古墳の被葬者は、諸説ありますが、右大臣、従二位で没した阿倍御主人(あべのみうし)説が有力です。ちないみに左大臣と右大臣は左大臣がえらいです。
 詳しくは、『図説 最新日本古代史』226ページ(リンク先はamazonです)「骨抜きにされた天皇陵」


秘密その21 苦労の耐えなかった帝王・天武
 壬申の乱を勝ち抜き、王位を簒奪した天武天皇。「天皇」と名乗ったのも、天武がはじまりという説が有力です。古代国家のいしずえである「律令」がつくられたのもこのときのことでした。
 そのため、天武天皇こそが絶対的な天皇権力を打ち立て、専制国家を打ち立てたという学説が有力な学説となっています。
 しかし、実はそうでもなかったという学説が出されました。天武は豪族たちの強い反抗にあったとするのです。
 万葉集に「神」と歌われたとされる天武天皇でしたが、真の帝王の姿はどちらが正しいのでしょうか。
 くわしくは『図説 最新日本古代史』223ページ(リンク先はamazonです)「「帝王」天武像の崩壊」

古代天皇のなぞ

秘密その22 天皇家はどこまでさかのぼれるのか
 天皇家は万世一系ともいわれます。『古事記』や『日本書紀』などの歴史書には、神話の時代からはじまり、神武天皇を第1代とする天皇家の系譜が続いています。
 しかし、神話の世界はもちろん史実とはいえません。また神武からはじまる天皇についても実在をうたがう学説が根強いのも事実です。
 それでは、確実にさかのぼれる天皇はだれなのでしょうか。
 詳しくは、『図説 最新日本古代史』136ページ(リンク先はamazonです)「天皇家は本当に万世一系なのか?」



現在、「7&Yブックス」および「ヤフーブック」で予約受け付け中です。でしたが、予約上限に達してしまいました。10月中旬に「e−hon」ですぐに予約上限に達して、今度は7&Yでも!発売前に予約が殺到するというのはびっくりです。ありがとうございます。

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