歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

目覚めよ公務員!

近づいてきたらしい衆院選での争点は、どうやら公務員とくに国家公務員をいかに批判するか、のようです。

いわゆる官僚制が日本で登場したのは、飛鳥・奈良時代といっていいのでしょう。別名、律令時代と言われる時代ですが、律令とは法律のことですから、法律があってはじめて法のもとの秩序で動く組織「官僚制」が動き出すのです。

官僚制の特徴は、今も昔もかわらず、法律を都合よく自分たち(政治家や高級官僚など)にあうようにカスタマイズすること。そして、その歪んだ法律を粛々と執行していく下級官僚たちの悲哀もまた変わりません。

古代においては、県知事や政令市長くらいにあたる「国司」は、地方のトップでありながら、「五位」というかろうじて貴族という身分の比較的低い地位でした。

地方ではいばっていても、中央での地位は低いので、こうした国司たちの生活や実像は正史などから無視されていて文献資料ではあまり分かりません。

そうはいっても国と地方の間に挟まれながら、苦しみ、ときに悦楽に走る(だろうなきっと)国司たちの実像を考古学から迫ろうというのが本書です(前置きが長くなりました)

国司の館―古代の地方官人たち

国司の館―古代の地方官人たち

「服装も大陸的となり、公式の場でネクタイをしめてスーツを着るように官人(役人)たちは「衣服令」という法令で定められた服装を身にまとうようになった」
「明治時代にチョンマゲからザンギリ頭に変わったように、奈良時代のはじめに急速な西洋化ならぬ中国化が進み、人々は耳飾りをはずしたのだ」

律令の到来した奈良時代は、明治維新の西洋化ならぬ中国化の時代だったのでした。ファッションの変化から時代の変化を感じさせるという、なかなか魅力的な導入です。
「冠位十二階」をつくったとされる聖徳太子も服は中国風にしても、まだ耳飾りはしていたんでしょうね。

でもこの本の面白いのは、後半の平将門(10世紀)についてのお話です。
なぜ将門の乱が起きたというのは、大きな謎ですが、著者は明快な答えを導きます。

それはバブル経済とその崩壊です。

「群党蜂起は反政府運動であるとともに、地域内の開き過ぎた集落間の差を暴力で縮めようとした地域のエネルギーでもあった。そうしたパワーバランスが、十世紀前半、平将門を生んだのである」P161

 まさに現代の格差社会。現代は、ニートの若年層VS団塊VS後期高齢者など世代間で開きすぎた差が、暴力的にはならないまでもうっ屈した空気を生んでいるいますが、それが隣村同士でのにらみ合いだったわけです。

天皇の子孫である平氏が関東に下ってきて、どうやって在地の人々のリーダーとなりえたかについてもかなり興味深い視点を提示しています。

 そりゃえらい血筋だから大切にされたんだよ、みたいな論証不能な定説がまかりとおりがちな時代ですが、著者は
「答えは土器の中にあった」(P169)
とモノからアプローチします。

そして、京都とパイプを持つ元皇族ゆえに、高品位の土器の流通を関東にもたらすことで、経済的に地位をあげていったとときます。

土器の需要(=人口の増という)の背景には、
「空前の土地開発ブームの到来である」P172がありました。

教科書的には「荘園化」と言ってしまい。これまであった農地の持ち主が国営から貴族やお寺の私営になると考えられがちです。

しかし、荘園化は既存の農地よりも、積極的に農地を開拓してあらたな土地を生みだしていった要素が強かったのです。都の貴族も、地元の開拓者も、みんなおいしい思いをしていたのが9世紀でした。バブルです。そしてその崩壊はやってきます、必ず。

無茶な開発は、自然環境を破壊し、農業生産にも様々な影響がでてきました。

10世紀になると、一気に関東の開発バブルは崩壊。新しい土地の村々は生産力を維持できなくなり廃絶。人口減と流民となった人々で治安は悪化していき、あらたな秩序が求められました。

それが平将門だったというわけです。

「じつは平将門の乱とは、九世紀に入って復興をとげた関東地方の大半の集落が、急速に没落していく危機感の中で起こった事件だったのです」P178
「九世紀中葉、立錐の余地がないほどに急成長した坂東の集落が十世紀前葉、とたんに没落した」P179

タイトルに「平将門」という文字がまったくありませんが、将門論として秀逸の1冊です。