わずか50年で消えた古九谷は隠れキリシタンによる暗号だった。日本版ダ・ヴィンチ・コード!
九谷焼というのは、なんだか派手な色をした陶磁器です。東洋風とも西洋風とも、とりあえずワビサビな世界とは一線を画しています。
九州の伊万里焼(有田焼)に似ています。似ているどころか伊万里焼が九谷のオリジンというのが有力説です。
伊万里焼は、秀吉が朝鮮出兵で、むこうの陶工を連れてきたのが始まりなので、戦国時代末の16世紀後半からスタートです。
江戸時代の17世紀の後半(1655年ごろ)になって加賀藩(石川県、厳密には加賀藩支藩の大聖寺藩)に突如あらわれたのが、伊万里焼っぽいテイストを持つ「古九谷」でした。両方とも「いい仕事していますね〜」。
この古九谷はなぜか50年ほどでこの世から消えてしまいます。その後、復活するまで100年以上の断絶があるのです。
(古九谷を造った人たちと、九谷焼をつくる人たちの間には、人的に技術の継承がないということ。デザインは古九谷を踏襲しています)
芸術品として当時も高い評価をえた古九谷ですが、なんでわずか50年で消えてしまったのでしょうか。
石川県の子供向けの解説HPによりますと、
http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/kodomo/kutani/whats-kutani-03.html
山中町九谷で始まった古九谷(こくたに)は、わずか50年あまりで歴史の表舞台(おもてぶたい)から、ぷつりと姿を消しています。どうして古九谷(こくたに)は突然、消えてしまったのでしょうか。そこには三つの説があります。
1.原料の陶石(とうせき)がなくなった。
2.大聖寺藩(だいしょうじはん)の財政が苦しくなった。
3.江戸幕府のかんしょう。しかし、いずれの説も確かな証拠(しょうこ)がなく、古九谷はいまだに不明な点が多い「謎の焼き物」です。
と〜っても分かりやすく説明してくれます。
ところが、3つの説ともに決め手にかけます。
1)は、江戸時代ですから原料は全国各地から入手できますし、100年後に復活したときにはちゃんと材料はあったわけですし。
2)は、親の加賀藩は百万石で、文化で徳川に勝とうとやっきになっていた時です。大聖寺藩もいい港をもっていて北前船の拠点でした。なにより、磁器はめちゃくちゃ高付加価値商品で、もうかる。
3)は、「おうおう、いいもん作ってるじゃねぇか! 作るのやめないとつぶすぞ!」ってことでしょうか。それより、どんどんいいものを幕府に献上させたほうがいいと思います。
で、これらの諸説を覆す最新の古九谷バズーカーが放たれました。
なんと隠れキリシタンが作ったというものです。石川県立美術館の学芸員さんの説です。きのう(2013年5月15日)の読売新聞への寄稿です。
たしかに、なぜ加賀藩に突然(1655年ごろ)、九州の職人がやってきたのかというのも謎ですが、島原の乱(1637年)とかでキリスト教徒排斥のころなので、とりあえず九州からは追い出されたというのはアリでしょう。
なにしろ、加賀藩はキリシタン大名の高山右近もこの頃(1613年まで金沢在住)、お預かりしていましたし。
とにもかくにも、加賀藩のもとで、その技術を発揮して、古九谷をつくっていったわけです。
ところが、その作品には、暗号としてキリスト教のイコンが込められていた、と。
大弾圧のあとだけに、イコンだけでなく、「遺恨」も込められたのかもしれません。(これが言いたかったw)
ほかの古九谷はどうなんでしょう?暗号見つかるかな?(いずれも石川県のHP石川新情報書府より)
色絵鶴かるた文平鉢
ああ、これは45度回転させたら完全に十字架ありますね!
色絵宝尽鷺文平鉢
こっちも45度回転で、もっと立派な十字架あるある!
楽しくなってきました!
色絵布袋図平鉢
おっ!布袋の持っている枝に不自然な十字がっ!どうですか奥さん!
( 色絵鳳凰図平鉢より)
うーん鳥の足が交差しているところを十字架と見れば・・・ムリか。。。。
そして、きたーーーーーーー!!!!
色絵四葉座十文字平鉢
もろバレーーーーーーーーーー!!!!!
磔!!!!!!
こうして50年も作っていたら、「暗号」はバレる。
「古九谷の村〜解散〜」となったのかなぁ?
まあ、文書の史料ではぜったいに「隠れキリシタン=古九谷説」を証明するものはでないでしょうから、定説にはなりえないですが、ダビンチコードっぽくて面白いですね。
いや〜いい仕事してますね。
今週の歴史本書評をまとめたら、80%がアマゾンで在庫なし。ツタヤ化が著しいぞ、アマゾン!
今週日曜日の新聞各紙で取り上げられた注目の歴史本をずらっとまとめてみました。今週分かったのは、アマゾンは新聞書評されるような本は在庫が全然ないということ(笑)。売れ筋しかおかないツタヤのようになっているようです。岩波文庫くらいそろえておいてよ・・・。
5冊中4冊が在庫なし。アメリカに帰国してください。
ある老学徒の手記
人類学者、考古学者として有名な鳥居龍蔵さんの自伝が岩波文庫で復刊です。読売新聞が書評。
見所は、洋の東西、古今、文系理系を問わずある、学界の大物にいじめられる話しという。。。
坪井正五郎さんに認められた鳥居さんですが、その後不和になり、いじめ抜かれます。恵美嘉樹は、マンガ「マスターキートン」の1話を思い出します。かっこよかったなぁ、キートン。
しかし、アマゾン品切れですか。最近多いですね。ほかのネットショップでは在庫あるのに、アマゾンがないという。ジュンク堂も楽天もセブン、ヨドバシも、いまはみんな送料無料ですからね、だんだん動いていくかもしれません。アマゾンは税金日本に払っていないというし。鳥居龍蔵(1870─1953)は、学校にはなじめず小学校を2年で退学する。しかし、独学自修し、考古学・人類学を本格的に学ぶことを志して上京。帝国大学人類学教室標本整理係となり、そこからアジア各地の精力的な調査が始まる。困難な時代に国際的な業績をあげた稀有な民間学者の自伝。(アマゾン内容紹介より)
千年災禍の海辺学―なぜそれでも人は海で暮らすのか
東北学院大准教授と同大の震災の記録プロジェクトの編集。朝日新聞が書評。
三陸沿岸を、地理的辺境としてではなく、危機に晒された生を生き抜く智慧が集積した文化的中心として捉え、強圧的な行政政策への対抗論理としての実践性と、災害リスクに対する脆弱性の吸収と回復力の保持を明らかにする。(アマゾン内容紹介より)
予想しているような内容ではなく、難しい論文的なものかもしれませんが、「危機に晒された生を生き抜く智慧が集積した文化的中心」という視点が興味深いのでとりあえず注文してみました。楽天で笑
これもまたアマゾン在庫なしですよ。書評されるとすぐ在庫切れって、、、鉞子(えつこ) 世界を魅了した「武士の娘」の生涯
未読ですが『武士の娘』 (ちくま文庫)という戦前、海外で英語で出版されて評判になった本がありまして、その作者の杉本鉞子さんを追ったノンフィクション。ということで、この本の面白さを知るには、2冊読まないといけなそうです。武士の娘は「き」の字にして寝るとか、どんな寝方だよ?!とすごく気になります。毎日新聞の書評。
あの司馬遼太郎が知らなかった、というので、堂々と「未読です」と胸を張れますね笑。いや、もう知っていないとだめか。
あの司馬遼太郎がその存在を知らず、一読して『福翁自伝』にひけをとらぬ内容、と驚嘆した自伝がある。
1925年(大正15年)、アメリカで無名の日本人女性が英語で書き下ろした『武士の娘』が刊行され、その年のベストセラー・リストに載った。『グレート・ギャツビー』と並ぶ売れ行きで、異例の8万部が世に出た。
著者・杉本鉞子は明治5年生まれ。父は長岡藩の筆頭家老で、司馬遼太郎の『峠』の主人公・河井継之助と幕末に対立し、藩の役職を追われたいわば没落士族である。維新後は、いわゆる武士の商法から零落する。
それにもかかわらず、鉞子は厳しい教育を受け、10代で東京へ出てクリスチャンの学校へ通い英語を身につける。卒業後、浅草で教職につくのは、ちょうど樋口一葉が同地に移り住む頃だった。
縁あって、アメリカ中部で美術商を営む杉本松雄に嫁ぐのが明治35年。しかし、42歳で寡婦となった鉞子は、二人の娘を養育しながらアメリカにとどまる決意をする。
戦争をはさみ、『武士の娘』以降3冊の本を書いた鉞子は、昭和25年に息をひきとるまで日米の架け橋となった。アメリカでは有名人、日本では無名―忘れられた杉本鉞子の一生を描く。
(アマゾン内容紹介より)
鉞子(えつこ) 世界を魅了した「武士の娘」の生涯 | ||||
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亡びゆく言語を話す最後の人々
ええ、もちろんこれもアマゾンには在庫ありませんとも。毎日新聞の書評。
朝日新聞で昨日(2013年5月14日)「方言の灯、震災が消す 被災4県143語が「危機」 話し手が避難や移転」という記事が載りました。
東日本大震災の被災地で使われている方言の中で、消滅する可能性の高い言葉が143語にのぼることが、東北大学の小林隆教授(方言学)の調査で分かった。文化庁は「方言は多様な地域文化の基盤」として、保存と継承に動き出している。
海外のケースとはいえこの本とのリンクするようで興味を持ったのですが、たぶん読まないだろうなあ。どうしようかなと躊躇気味。
亡びゆく言語を話す最後の人々 | ||||
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四月七日の桜 戦艦「大和」と伊藤整一の最期
戦艦大和とともに戦死した司令長官を巡るノンフィクション。最近は右も左も「おのれの思想」を言いたいがために都合のいい史料をピックアップする太平洋戦争の言説が蔓延していて、つかれるので、こうした人に焦点をあてた内容のほうが興味がわきます。
山本五十六に最も信頼された男が家族を思うとき――司令長官として「大和」とともに沈んだ父。沖縄へ出撃した特攻機で散った息子。二人を追うように娘を残して逝った母。昭和20年4月7日から翌年9月までに、悲劇が立てつづけに伊藤家を襲う。ただし、伊藤が植えた桜は、今もその命日を忘れずに満開となる。
新資料多数掲載。山本五十六から伊藤に宛てた未公開書簡・色紙、アメリカ国立公文書館から戦艦「大和」から発信された無線暗号の解読資料、戦死した父・兄から家族への手紙など。
本書は、伊藤の家族愛、その独断により若者たち多数の命を救った面を中心に焦点をあてる。(アマゾン内容紹介より)
これはまだアマゾンにありましたが、いわゆる書評本体で取り上げられたのではなく、「記者がえらぶ」という読売の小さいコーナーだったからでしょうかね。
祭り中の祭り「葵祭」快晴のもと開催!
京都三大祭の一つ、葵(あおい)祭がきょう(2013年5月15日)、京都で行われました。なぜ「祭り中の祭り」かというと、答えは下のほうに↓。
去年はたしか雨で順延したけど、今年は快晴でよかったですね。
動画と写真をぴっくあっぷ
第58代斎王代の聖心女子大3年、長瀬摩衣子さん(20)は「歴史ある祭りにかかわらせていただく幸せと感謝を胸に、頑張りたい」と意気込みを語った後、腰輿およよに乗り、観光客らの歓声に笑顔で応えていた。(読売)
=京都御所で腰輿(およよ)に乗り込んだ斎王代の長瀬摩衣子さん=15日午前10時15分、京都市上京区(恵守乾撮影)
(産経)
ところで葵祭とは、山城一の宮(セットで)である上賀茂神社と下賀茂神社の祭礼。今は5月15日と決まっていますが、もとは「賀茂祭」とよばれ、806年以来、旧暦の4月の中の酉の日に行われることになっていました。
そして「もとのもと」は、単に「祭」という言葉が固有名詞としてイコール葵祭のことを意味していました。
だから葵祭は、「祭りの中の祭り」なのです。
はじまったのが奈良時代がはじまった翌年の711年。そこから応仁の乱のために1502年に途絶えるまで、800年も続きました(江戸時代に復活)
古代の祭りのヒロインは、斎王代な女子大生ではなく、ホンモノの皇族女子である斎王です。だから今は「代理」なんですね。
賀茂両社のことは下の拙著をぜひどうぞ(ペコリ)
オリーブオイル1本分で8歳男児が海外へ売られた一方で、うどん県の夫婦が8歳の子を4万円で売っていた
きのう(2013年5月13日)の読売新聞で、「『日本人奴隷』3人、メキシコに…安土桃山時代」という記事がでて話題になっていました。
ガスパールは豊後(大分県)生まれ。8歳だった1585年、長崎で日本人商人からポルトガル商人のペレスに、奴隷として3年契約7ペソで売られた。その後の詳細は不明だが、引き続きペレスのもとで、料理などの家事労働をしていたとみられる。当時のスペインで、高級オリーブオイル1本が8ペソだった。
8歳の人間がオリーブオイル1本分。。。
では、日本ではいくらくらいで売られていたのでしょう。
14世紀の売買された人間の値段について、国立歴史民俗博物館の研究から拾ってきました。
- 1324年 娘 2200文(2貫200文) 志ん二郎とい男が「いぬまさ」という名前の女の子を買った値段
- 1330年 童(わらし) 500文 うどん県の夫婦が自分たちの子ども(8歳)を売った値段
- 1390年 わらし 1500文(1貫500文) 千葉県にて15年の奴隷契約(年季奉公)
これがどれくらいの価値かというと、
例えば、1300年で雑色の水干(衣服)が2500文
雑色というのは、貴族や役所に仕える身分の低い下っ端。水干(すいかん)というのは下(日本国語大事典)の衣服のこと。
この服が人間よりも価値が高いという。
ただ、米に換算すると、
米1石5斗(150升)が1500文(1貫500文)で千葉の子ども一人と同じ。(讃岐の場合は、さらに3分の1)
1升を1・5キロとするとだいたい250キロ。
10キロ5000円だとすると、12万円にしかならないけど、200キロあれば家族は食べられるかなって感じでしょうか。
オリーブオイルよりは高そう。
ちなみに調べてみたら、500文で売られたうどん県の男の子は「千松」という名前です。(「讃岐賀茂神社文書」『鎌倉遺文』)
「1000文にもならないのかよ」と名前負けした自分を悲しんだことでしょうね。
それはともかく「古代・中世都市生活史(物価)データベースの検索」は、色々と分野別に物価が一覧で見ることができて、面白いですよ。
徳川家康のお値段は4000万円!
7ペソ(高級オリーブオイル1本相当)とか500文(4万円)とか、現代日本人の感覚すると悲惨すぎるお値段ですが、人身売買といえば忘れてはいけない大物がいました。
そう徳川家康さんです。
彼の場合は、大名の息子として織田家に誘拐されたので、身代金です。その値段は500貫(50万文)つまり4000万円くらい。
庶民の奴隷の1000倍というのが安いのか、高いのか、微妙です。
織田家では、このとき買い取った家康を、戦争捕虜の人質交換として今川へ送ったらしい。
そのため家康は「タダでさえ身の狭い人質生活が、さらに気まずいものになった」と後年つぶやいている。
(略)
それは自業自得な一面もある。
今川家に送られ、初めて迎えたお正月。
殿様の前に披露されることになり、家臣が集まる前に一人でちょこんと座らされた。
「あの子供、誰?」
「松平の子だってさ」
ザワザワ、ガヤガヤ。周囲に流れる居心地の悪い緊張感。これに耐えられなかったのか、家康は突然、立ち上がると、縁先に行き、立ち小便をはじめたのだ。
大物なのか、バカすなのか。
戦国時代100の大ウソ | ||||
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バテレン追放への道
ちなみに、伴天連追放令を秀吉が出したのは天正15年(1587)6月のこと。
それまで秀吉はキリスト教に寛容でした。ところが九州征伐で、九州で広がるキリスト教に脅威を覚えました。なかでも貿易港の長崎がイエズス会の教会領となっていたことに驚愕したようです。(藤井譲治『天下人の時代』吉川弘文館、81頁)
6月19日に発令された有名な追放令は5つの条文からなります。
1 日本は神の国である。キリシタンの国より邪法(キリスト教)を布教するのは、よくないことである
2 布教した教徒たちが神社仏閣を攻撃するなど前代未聞。大名や部下は領内でキリスト教を布教してはいけない
3 伴天連(宣教師)はその国際的な知識から取り立てたのに、日本の仏法を破る「犯罪者(曲事)」なので追放する
4 ただ、南蛮貿易の船は免除する
5 仏法のさまたげをしなければ、貿易の自由は保証する
という感じです。
もちろんイエズス会領はぼっしゅーと。
天下人の時代 (日本近世の歴史) | ||||
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最強のキンドル歴史マンガを収集する #キンドル
歴史関係の本や漫画で、ベストセラーや話題作になったものを備忘録的に集めていきたいと思っています。今のキンドルのカテゴリー分けが役立たずなので、人力で。 「これは」というのがあったら教えてください。まずはマンガから!(随時更新予定)
三国志の世界観を変えた
蒼天航路(1): 1 (モーニングKC (434))[Kindle版] | ||||
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キングの下でアシスタントをしていたお弟子さんたちも下のような熱い漫画道を展開しています。(いずれもキンドル版はありません)
囚人リク 1 (少年チャンピオン・コミックス) | ||||
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戦国時代100の大ウソ | ||||
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始皇帝がいとしくてしかたなくなる
キンドルの最新29巻でたよ(2013年5月)キングダム 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)[Kindle版] | ||||
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肝心なこれを忘れていました。コメント感謝。
キングダムなエントリー
懐かしの「日本の歴史」シリーズの新旧
日本の歴史1 日本のあけぼの 原始時代 (学研まんが日本の歴史)[Kindle版] | ||||
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NEW日本の歴史1 国の成り立ち (学研まんが日本の歴史)[Kindle版] | ||||
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漫画家が書いた 人物からわかる「旧約聖書」
漫画家が書いた 人物からわかる「旧約聖書」[Kindle版] | ||||
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マンガ宣教師のケリー篠沢の作品。すごい肩書ですね。
孔雀王!
孔雀王 第1巻[Kindle版] | ||||
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子どもの頃、このマンガで、空海が今も生きている(とされている)ことを知って、すごくびびりました。
センゴク!
センゴク(1): 1 (ヤングマガジンコミックス)[Kindle版] | ||||
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センゴク天正記(1): 1 (ヤングマガジンコミックス)[Kindle版] | ||||
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センゴク=仙石という、語呂合わせだけで始まったかと思ったら、すごく面白くてはまりました。最近、史実に寄りすぎて哲学的になりすぎな気もしますが・・・。また、はちゃめちゃな感じになってほしいなあ。
「天空の城」竹田城で結婚式。天気は微妙もご本人たちが満足でなにより
いまや、日本一有名な山城といっても過言でない、兵庫県朝来市の竹田城では、県外(千葉)のカップルがおととい(2013年5月11日)わざわざ結婚式をあげました。
雨〜っだったようですが、ご本人たちには非常に理想的な景色に見えたようで、よかったですね。
整備された山城から眺めは竹田城だけでなくどこもすばらしいので、結婚式とはいわずとも、たくさんの人がのぼってもらうといいですね。
地元の神戸新聞
朝来市のNPO法人が企画し、全国からカップルを募集。地元高校生のブラスバンドも参加し、門出を演出した。新郎の会社員二宮真之さん(34)=千葉県浦安市=は「幻想的な雰囲気を満喫できた」と笑顔。新婦の歯科衛生士光世さん(29)=同=も「とても幸せです」と喜びをかみしめた。
式では小雨が降る場面もあったが、雲もあり周囲は幻想的な風景に包まれた。新郎の真之さんは「晴れるよりかえって良かった。ここは日本のマチュピチュと呼ばれており、憧れていた」と感動した様子だった。
こんな城もあったんだ~日本名城・奇城ガイド~ | ||||
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特急はまかぜに「竹田城跡」ヘッドマーク−観光PR、姫路駅には「撮り鉄」も - 姫路経済新聞